大君主
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1894年7月に、李氏朝鮮政府は、開国紀年(개국기년)を宣言して、既存の対外的に書いた清の対内的に使用した明の年号の「崇禎」を廃止し、中国王朝に服属しない完全な自主国であること宣言した。
同じ脈絡で1895年1月7日(高宗 31年旧暦12月12日)[1] <洪範14条(洪範十四條)>を発表し、中国との宗属関係を終えると宣言して「大君主」という称号を使うようになった。これにより、国王と関係各種格式を諸侯王ではなく、皇帝に準ずるものと変えれ称号だけ皇帝よりも低い形となった。大君主の称号の導入に加えて「大君主陛下」、「王太后陛下」、「王后陛下」、「王太子殿下」、「王太子妃殿下」のような称号と呼称が導入された。また、「専文」は、「表文」に格上げされ、「寡人」は「朕」で、大君主の命令は、皇帝と同じように「勅・敕」と呼ぶようにした。事実、このような大君主の称号の導入は、10年前の甲申政変時政変勢力が施行しようとしていたものと大同小異した。
欧州諸語では以前と同じ称号(英語の場合king)が使用された。