大天井岳
長野県の山
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概要

大糸線有明駅の西15.9 kmに位置し、中房温泉から合戦尾根を経て槍ヶ岳へ登る表銀座縦走コースと常念山脈との分岐点の山である。ただし、登山道は山頂を通らず巻道となっている。中部山岳国立公園内にあり[3]、日本二百名山に選定されている[4]。
山体は中生代の花崗岩からなり、山頂部には中生代の輝緑岩が混じる[5]。山頂部は森林限界を越える高山帯で、砂礫地にはハイマツが分布し特別天然記念物のライチョウの生息地となっている。山腹では、イワヒゲ、コマクサ、クモマスミレなどの高山植物が自生している[5]。山頂には、点名が「天章山」の三等三角点が設置されている[1]。明治39年、測量官の柴山虎熊によって設置された。麓の安曇野から眺めるとピラミッド形状の常念岳[6]や安曇富士ともよばれる有明山と比べると、奥まった位置にあるため目立たない存在となっている[7]。
山名の由来
登山
登山ルート

中房温泉からの表銀座縦走コース及び常念山脈縦走時に登られることが多い。最寄りの登山口は中房温泉で、常念岳の登山口が次に近い登山口である[10][11]。小林喜作が1920年に喜作新道を開設する以前は、槍ヶ岳への登路は以下の2つのルートが利用されていたが、現在は廃道となっている[12]。かつて槍沢の一ノ俣谷出合には一ノ俣小屋があり、そこから一ノ俣に沿って常念乗越に至る上級者向けの谷コースがあったが、現在は廃道化している[13]。大天井岳の北側の切通岩には地元の彫刻家の小川大系が製作した小林喜作のレリーフが岩に埋め込まれている[14]。大天井ヒュッテの南西約0.8 kmの標高点2,549 m付近の鞍部は貧乏沢の最上部であり、1922年の日本登山史の黎明期に学習院大学のパーティーが貧乏沢を下降して北鎌尾根から槍ヶ岳に登頂した[15]。
- 有明 - 中房温泉 - 合戦尾根 - 大天井岳 - 東天井岳 - 二ノ俣尾根 - 二ノ俣谷 - 槍沢 - 槍ヶ岳
- 有明 - 中房温泉 - 合戦尾根 - 大天井岳 - 東天井岳 - 横通岳 - 常念乗越(常念坊乗越小屋) - 一ノ俣谷 - 中山乗越 - 二ノ俣尾根 - 二ノ俣谷 - 槍沢 - 槍ヶ岳
代表的な大天井岳への登山経路を以下に示す。要所には山小屋やキャンプ指定地がある。残雪期や積雪期には、北側の尾根を直登する冬期ルートが用いられている[16] 。
- 中房温泉からの表銀座
- 中房温泉 - 合戦小屋 - 燕山荘 - 蛙(げえろ)岩 - 切通岩(小林喜作のレリーフ) - 大天荘 - 大天井岳 (- 大天井ヒュッテ - 赤岩岳 - 西岳ヒュッテ(西岳) - 水俣乗越 - ヒュッテ大槍 - 槍ヶ岳山荘 - 槍ヶ岳)
- 一ノ沢登山口
- ヒエ平 - 王滝ベンチ - 胸突八丁 - 常念小屋(常念岳) - 横通岳 - 東大天井岳 - 大天荘 - 大天井岳
- 徳沢登山口
周辺の山小屋
山頂直下の南東0.2 kmには1956年に建設された安曇野市の大天荘がある[17]。1975年に二階建の新館が建設された。運営と管理は燕山荘のグループに委託されている[18]。営業期間外は無人となり閉鎖されるが、緊急避難用の冬期避難小屋が開放されている。
山頂と牛首岳との鞍部の西南西0.5 kmには、1957年に開業した大天井ヒュッテがある[19]。

地理
周辺の山



飛騨山脈の南東にある常念山脈がほぼ南北に延び、南東1.8 kmには東天井岳がある。山頂からは南南西の赤岩岳へと表銀座の尾根が延び、東鎌尾根を経て槍ヶ岳で飛騨山脈の主稜線と合流する。山頂の1.4 km西には牛首山(標高2,553 m)があり、山頂は展望地となっている。
| 山容 | 山名 | 標高[1][2] (m) |
三角点等級 基準点名[1] |
大天井岳からの 方角と距離 (km) |
備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 燕岳 | 2,762.85 | 二等 「燕岳」 |
燕山荘 日本二百名山 | ||
| 有明山 | 2,268.34 | 二等 「有明山」 |
日本二百名山 | ||
| 大天井岳 | 2,921.91 | 三等 「天章山」 |
常念山脈の最高峰 大天荘、日本二百名山 | ||
| 東天井岳 | 2,814 | ||||
| 赤岩岳 | 2,768.7 | 三等 「筆波美」 |
|||
| 横通岳 | 2,766.99 | 三等 「赤樽」 |
|||
| 西岳 | 2,758 | ヒュッテ西岳 | |||
| 常念岳 | 2,857 | 常念小屋 日本百名山 | |||
| 槍ヶ岳 | 3,180 | 槍ヶ岳山荘 日本百名山 |
