大明暦 From Wikipedia, the free encyclopedia 大明暦(だいめいれき)は、中国暦の一つで、南朝宋・斉の祖沖之(そちゅうし)によって編纂された太陰太陽暦の暦法。南朝宋の大明六年(462年)に完成し、その死後、南朝梁によって官暦に採用され、南朝梁の天監九年(510年)から南朝陳の末年、禎明三年(589年)までの80年間、使用された。 祖沖之は、従来の19年7閏月の章法では200年に1日の遅れがでるとして、これを改め、391年に144の閏月を置く破章法を採用した。これにより、1太陽年を365+9589/39491(≒365.24281[1])日、1朔望月を29+2090/3939(≒29.530592[2])日とした。これは南宋の慶元五年(1199年)に施行された統天暦以前としては最も精確な数値であった。 歳差の導入 中国では東晋の咸和五年(330年)に虞喜が歳差を発見していたが、大明暦によって歳差が暦の計算に導入された。ただし、45年11か月に1度、冬至点が動くと考えており、その数値は過大なものだった(実際は約70.7年に1度)。 交点月の計算 はじめて交点月の日数を求めて暦に導入した。1交点月を27.21223日とし、祖沖之は、これに基づいて元嘉十三年(436年)から大明三年(459年)に四度現れた月食の時刻を推算し、実際の観測データと合致していることが確かめられた。 脚注 [脚注の使い方] ↑ “365+9589/39491”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。 ↑ “29+2090/3939”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 表話編歴中国暦(天監9年(510年)-禎明3年(589年)) 紀元前→後漢 古六暦?-?顓頊暦?-BC105太初暦BC104-4三統暦5-84 後漢→魏 四分暦85-236景初暦237-444 魏→南朝 元嘉暦445-509大明暦510-589 呉 四分暦222乾象暦223-280 北朝 景初暦398-451玄始暦412-522正光暦523-565興和暦540-550天保暦551-577天和暦566-578 蜀 四分暦221-263 北朝→隋 大象暦579-583開皇暦584-596大業暦597-618 唐 戊寅元暦619-664麟徳暦665-728大衍暦729-761五紀暦762-783正元暦784-806観象暦807-821宣明暦822-892 唐→後周 崇玄暦893-955 後周、北宋、南宋 欽天暦956-963応天暦963-981乾元暦981-1001儀天暦1001-1023崇天暦1024-1065明天暦1065-1068崇天暦1068-1075奉元暦1075-1093観天暦1094-1102占天暦1103-1105紀元暦1106-1135 後晋、遼 調元暦893-943?961-993大明暦994-1125 南宋 統元暦1136-1167乾道暦1168-1176淳熙暦1177-1190会元暦1191-1198統天暦1199-1207開禧暦1208-1251淳祐暦1252会天暦1253-1270成天暦1271-1276 元以降 重修大明暦1182-1280授時暦1281-1644時憲暦1645-1911グレゴリオ暦1912- 金 大明暦1137-1181 Related Articles