大村平

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死没 (2021-06-01) 2021年6月1日(91歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 航空自衛隊
軍歴 1956年 - 1987年
大村 平
生誕 1930年1月2日
日本の旗 日本 東京府
死没 (2021-06-01) 2021年6月1日(91歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 航空自衛隊
軍歴 1956年 - 1987年
最終階級 航空幕僚長たる空将
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大村 平(おおむら ひとし、1930年昭和5年〉1月2日 - 2021年令和3年〉6月1日)は、日本航空自衛官著述家

東京都出身。第18代航空幕僚長、技術畑からは初の航空幕僚長。工学博士

自衛官としての勤務の傍ら、初等数学統計学において啓蒙書を多数著した。

名古屋陸軍幼年学校に入校し2年時に終戦を迎えた。在学中はパイロットを目指していた[1]。終戦後は旧制・東京高校を経て東京工業大学に進学[1]。大学では機械工学を専攻し卒業後は製糸会社に勤めるが、仕事として今ひとつ物足りない感じを受け、1956年(昭和31年)に公募幹部(3等空尉)として航空自衛隊に入隊[1]

入隊後は防府基地で1か月の入隊教育を受けたのち、浜松基地実験航空隊に配属された[1]。その後、整備幹部の教育を受けて宇都宮基地へ派遣され、当時開発中のT-1練習機の整備の勉強と、その傍ら試験飛行にも携わる。当時のテストパイロットは戦中派の高岡迪や日高盛康で後席で機上計測を100回ほど実施した[1]1960年(昭和35年)から2年間、東工大大学院に入り、歯車精度測定法の研究に務めた[1]。空自復帰後は技術研究本部に配属され、技術幹部として装備の研究開発に関わり、ジェットエンジンの設計やブルーインパルスのカラースモークの研究にも携わる[1]。その後も技術畑で勤務し、航空幕僚監部、航空実験団でT-2練習機及びF-1戦闘機の開発にも携わった[1]。1984年(昭和59年)には技術幹部として初の航空方面隊司令官となる[1]。その後、航空幕僚副長を経て、1986年(昭和61年)2月から1987年(昭和62年)12月まで空幕長を務めた。

2021年(令和3年)6月1日、肺炎のため都内の病院で死去[2][3]91歳没

年譜

退官後は防衛庁技術研究本部技術顧問、お茶の水女子大学非常勤講師日本電気顧問、社団法人日本航空宇宙工業会顧問などを務める。

栄典

著書

脚注

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