米川忠吉
From Wikipedia, the free encyclopedia
神奈川県横浜市出身[2]。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み[2]、学生時代はラグビーに熱中した[2]。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが[2]、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した[2]。入隊後はF-86Fセイバー、C-1輸送機、F-4 ファントムを操縦した[2]。最初の空幕勤務は1976年(昭和51年)7月からの運用課第2班長。その翌月に「ミグ25事件」が発生し、対処にあたる[2]。その後、初代第1輸送航空隊司令、第2航空団司令、北部航空方面隊司令官、飛行教育集団司令官、航空総隊司令官等の要職を歴任し、1987年(昭和62年)12月に第19代航空幕僚長に就任した。