大森鍾一

日本の政治家 (1856-1927) From Wikipedia, the free encyclopedia

大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日安政3年5月14日〉- 1927年昭和2年〉3月3日[1])は、日本の内務官僚政治家貴族院議員枢密顧問官皇太后宮大夫男爵

生年月日 1856年6月16日
安政3年5月14日
出生地 江戸幕府駿河国駿府稻荷小路屋形町(現:静岡県静岡市葵区
没年月日 (1927-03-03) 1927年3月3日(70歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
大森 鍾一
おおもり しょういち
生年月日 1856年6月16日
安政3年5月14日
出生地 江戸幕府駿河国駿府稻荷小路屋形町(現:静岡県静岡市葵区
没年月日 (1927-03-03) 1927年3月3日(70歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本東京府東京市麹町区一番町(現:東京都千代田区
前職 内務官僚
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
男爵
配偶者 大森齢子
子女 大森佳一(長男)
親族 大森直正(父)
中川望(娘婿)
池田宏(娘婿)
児玉九一(娘婿)
重成格(娘婿)
永井浩(娘婿)
在任期間 1923年9月26日 - 1927年3月3日
在任期間 1909年12月21日 - 1916年7月3日
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生涯

幕臣駿府与力大森直正水野忠邦家臣森川源左衛門の男)と先代鯛次郎直由の娘である銀の長男として生まれる。幼名は鍾一郎、後にの直興を名乗る。静岡学校、名古屋学校を経て、明治5年10月1872年11月)に林欽次塾に入り、後に中退。

1873年(明治6年)4月、明治政府に出仕し陸軍造兵司・一等附属となる。司法省法制局太政官を経て、1878年(明治11年)10月、内務省に移り四等属に任官。以後、内務権大書記官、兼戸籍局長、内務卿官房長心得、内務大臣秘書官山縣有朋大臣)、内務書記官・総務局文書課長兼勤、県治局長、兼警保局長などを歴任した。

1893年(明治26年)3月、長崎県知事に発令され、兵庫県知事を経て、1900年(明治33年)10月、内務総務長官(内務次官)に就任。1902年(明治35年)2月に京都府知事に転じ、1916年大正5年)4月まで在任。1915年(大正4年)11月の大正天皇の即位の礼を大礼使参与官として担った。京都府知事在任中の1909年(明治42年)12月21日、貴族院議員に勅選され[2]1916年(大正5年)7月3日まで務める[3]

1915年(大正4年)12月1日、男爵を叙爵[4]。1916年(大正5年)6月22日、皇后宮大夫に就任し[5]1923年(大正12年)9月から死去するまで枢密顧問官を兼任[6]1926年(昭和元年)12月、大正天皇の崩御に伴い皇太后宮大夫に就任したが、在職中に薨去した。享年72。

墓所は本駒込吉祥寺戒名は至誠院徳巖宗潤大居士

人物

  • 1907年(明治40年)5月13日皇太子時代の大正天皇山陰地方行啓の途上で宮津を訪問した際、京都府知事だった大森は先導して成相山傘松を案内することになった。しかし皇太子は足が速く、随行していた東郷平八郎日高壮之丞たちは追いつけなくなってしまう。なんとか先導していた大森も疲れ果て、途中で与謝郡の郡長に先導を代わってもらう。これを見た皇太子が「それ(交代)には及ばない。ぜひ(大森が先導を続けよ)」と強いると、大森は「知事の職務の一部を郡長に委任するのは、法律の規定に基づくものであります」と述べた。それを聞いた皇太子は大いに笑ったという[7][注釈 1]
  • 京都府知事在任中、財政上の理由などで中止となった「大典記念内国博覧会」の会場予定地(現在の京都市左京区下鴨)に、代替事業として「植物園」の設置を構想。これに賛同した三井家同族会から多額の資金援助の申し出を受けた[9]。その後、大森の知事退任などで事業は一時停滞したが、大正の御大典記念事業として1924年(大正13年)正月、日本初の公立植物園である「大典記念京都植物園」として結実、開園に至った[9]。これが現・京都府立植物園である[9]。同園内には大森と三井家の功績を称える記念碑が建立されているほか、退任時に京都の政財界や府民から贈られた寄付金を原資として創設された園芸・本草学に関する書籍の一大コレクション「大森文庫」にその名を残している[10][11]

栄典

位階
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勲章等
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外国勲章佩用允許
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受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1902年(明治35年)7月6日 清 大清帝国 第二等第一双竜宝星中国語版[12]
1906年(明治39年)4月28日 イギリスの旗 イギリス帝国 ヴィクトリアンオーダー勲章コマンダー[12][32]
1908年(明治41年)3月9日 大韓帝国 勲一等太極章[12][33]
1920年(大正9年)9月25日 ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 エトアルドルーマニー勲章英語版[12]
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賞杯等

親族

著作・文献

訳書
  • ボアソナード述、山崎直胤閲『経済学講義 第1-4号』共同刊行:北畠茂兵衛ほか、1876年。
  • メイゾンヌーヴ著『仏国刑法説約』法制局、1876年。
  • 著者不詳『仏国地方分権法』博聞社、1878年。
  • ワレット著、井上毅閲『仏国県会纂法』博聞社、1879年。
伝記
  • 池田宏編纂『大森鍾一』池田宏、1930年。

出典

参考文献

外部リンク

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