大船鉾
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歴史
最も古い鉾のひとつであり、祇園社記の1441年(嘉吉元年)建立というもののほかに、康富記によると1422年(応永29年)に存在したともされる。1467年(応仁元年)からの応仁の乱で焼失し、1500年(明応9年)に再興したとされるが、くじ順の記録に残っておらず定かではない。
当初は人形だけを乗せた比較的簡素なものであったが、江戸時代以降、装飾や囃子を加え船鉾と呼ばれるようになった。江戸時代には1788年(天明8年)の天明の大火で神功皇后の御神面以外焼失、1804年(文化元年)には現在に伝わる懸装品などを整え、より豪華な鉾として再興したが、1864年(文久4年)の禁門の変で屋形・木組・車輪などを焼失し、休み鉾となった。
以後、1870年(明治3年)に唐櫃巡行を実行したり、1984年の国際伝統工芸博覧会・京都で模擬鉾を再建展示する[2]など、焼失以降何度か再興の試みもあったものの果たせず、御神体と懸装品を飾り席に飾る居祭りを行っていた。
1995年(平成7年)には後継者不足などから居祭りも休止して神事のみにする方向だったが、翌年の祇園祭での町内の活気の無さを見て、若手を中心に1997年(平成9年)に宵山の囃子を復活させた。翌年1998年(平成10年)からは囃子方を公募したことで後継者不足が解消され、2006年(平成18年)には飾り席も復活した。
2010年(平成22年)10月、公益財団法人四条町大船鉾保存会が発足し、保存会への寄付金などを基に再興を始め、2012年(平成24年)には142年ぶりに、唐櫃による巡行復帰を果たした[3]。 その後2014年(平成26年)に巡行に復帰、これをきっかけに祇園祭は1966年(昭和41年)以来となる前祭・後祭に分かれることとなり、同年7月24日、1864年の焼失後150年の節目の年に祇園祭の後祭で掉尾を飾った[2]。
その後2016年(平成28年)に舳先につける龍頭を復元[4]、2017年(平成29年)に会所を開く[5]など再興の活動が続いている。