大黒清勝
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生い立ち
家族
大黒家の先祖は長曾我部氏の支流で、杓田城主・大黒太郎左衛門範宗に出づ[6]。本姓は秦氏。先祖・大黒主計頭(おおぐろ かずえのかみ)は、長曾我部氏の麾下で知行1000石を領したが、天正14年(1586年)、豊後戸次川の合戦で、長曾我部信親と共に討死した[6]。主計頭の嫡子・大黒勝正(茂左衛門、隠居後「宗哲」)は、元和9年(1623年)、山内氏に召抱えられ、御納戸役等をつとめ、寛文3年(1663年)、馬廻役150石(上士)に列せらる[6]。さらに勝正(茂左衛門)の次男・大黒衡勝(文之丞)の時、御扈従200石として別家召出された。勝正の跡を嫡子・大黒好勝(文之丞)が嗣ぎ、大目付となって家禄100加増され、都合300石を食んだ[4]。