天野隆綱
From Wikipedia, the free encyclopedia
安芸天野氏は、藤原南家工藤氏の一族で安芸国に下向し国人化したもので、隆綱の系統は天野顕義から始まる生城山天野氏にあたる。同じく安芸の国人である天野隆重・天野隆良・天野元明の一族の系統は金明山天野氏である。
天野氏は安芸に土着する国人領主で、毛利氏や宍戸氏などとは元々同格の立場である。代々周防国の大内氏の影響下にあったが、隆綱の父である天野興定の代に出雲国の尼子経久の勢力が安芸に浸透してくるようになると、大内氏を離反し尼子氏へ属した。しかし勢力を盛り返した大内義興が大永5年(1525年)に天野氏の米山城を包囲し、天野氏は滅亡寸前にまで追い込まれるも毛利元就の取り成しにより降伏を許された。これを機に興定は、元就と等閑なき旨を誓約する起請文を取り交わして元就との関係を深め、以後は親大内・親毛利の立場を貫いた。