渡辺世祐

From Wikipedia, the free encyclopedia

死没 1957年4月28日(1957-04-28)(83歳没)
研究分野 歴史学日本中世史
渡辺 世祐
人物情報
生誕 (1874-03-13) 1874年3月13日
日本の旗 日本山口県山口市
死没 1957年4月28日(1957-04-28)(83歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 歴史学日本中世史
研究機関 東京帝国大学史料編纂掛國學院大學
テンプレートを表示

渡辺 世祐(わたなべ よすけ、1874年3月13日 - 1957年4月28日)は、日本史学者。明治大学國學院大學教授[1]。学位は、文学博士1919年[2]。山口県平民[3]

1874年、山口県吉敷郡下宇野令村(現・山口市)生まれ[4]。旧姓は蔵田。山口高校を経て[5][6]1900年7月、東京帝国大学文科大学国史学科を卒業[3][7]熊谷中学校勤務の後[4][8]1903年に「関東ヲ中心トシタル足利時代史」の研究のため、東京帝国大学大学院に進学する[3][9]

1904年(明治37年)から東京帝国大学史料編纂掛(史料編纂所)に勤務[4]1905年(明治38年)からは東京帝国大学文科大学講師として室町時代戦国時代の歴史を講義する[4]1910年(明治43年)からは國學院大學部でも教鞭を取る[4]1915年(大正4年)史料編纂官[3][10]1932年(昭和7年)に明治大学専門部文科史学科長を兼ねた[11]1936年(昭和11年)に史料編纂所を退官[12]後は1939年(昭和14年)まで嘱託として身を置いた。1949年(昭和24年)から1954年(昭和29年)まで明治大学文学部長を務めた他、國學院大學史学会長・文部省史料館評議員・地方史研究協議会第2代会長などの職も務めた[4]

1951年(昭和26年)、皇居で行われる講書始の担当となり、昭和天皇に「後奈良天皇の宸筆に就いて」を進講する[13]

1957年(昭和32年)、心臓伝達障害のため死去[14]。葬儀は5月2日に明治大学記念館で文学部葬として行われた[15]

研究内容・業績

人物

家族・親族

著書

出典

Related Articles

Wikiwand AI