奥山朝忠
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人物
遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊氏の親類衆[注釈 1]にあたり、朝忠の父・朝宗は井伊直政の母・おひよと兄妹(奥山朝利の子)である。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで父・朝宗が戦死。永禄11年(1568年)に一度井伊家が瓦解した際も、他の大名に仕えることをせず、領内にいた[2]。直政の徳川家康への出仕後も井伊氏の家臣として直継、直孝の彦根藩政期まで仕える。彦根藩は、直孝の大坂の陣における戦功により25万石を領することとなり、18万石当時に創築された彦根城を、石高にふさわしい規模とするための2度目の築城工事を元和2年(1616年)から元和8年(1622年)にかけて行ったが、その際、朝忠は2度目の工事の総奉行を務めた[7]。