奥田域太
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三重県立西笹川中学校で野球部に所属。卒業後は三重県立菰野高等学校に進学し、岡林勇希と共に左右のダブルエースを構築する[1]。県の秋季大会優勝を飾ったこともあったが、最終年度の夏はベスト4で敗れ甲子園出場はならなかった。プロ志望届を岡林と共に提出するが、岡林が中日ドラゴンズよりドラフト5位指名をされる中、奥田は指名されなかった[1]。高校で野球をやめることも考えたが、指名漏れの悔しさから大学でも野球を続けることを決意した[2]。1学年上には田中法彦がいた。
大学は星城大学経営学部に進学し[3][3]、愛知大学野球連盟の2部Aリーグに所属する硬式野球部でプレー。1年春から左のエースとして登板し、3年春のリーグ戦では故障による離脱を経験するも[4]、通算26勝を記録[3][5]。特に4年秋のリーグ戦では4勝0敗防御率0.79という圧巻の成績を残した[5]。
複数の軟式野球部から勧誘されるが硬式野球継続を希望。2024年よりウエスタン・リーグに参戦するくふうハヤテベンチャーズ静岡(当時球団名未決定)のトライアウトを受験し、打者4人に対して三振を3つ奪う好投を見せ、2023年12月7日に入団が発表された[5]。
2024年は開幕より先発ローテーション投手として登板を重ねる。3月24日の対阪神タイガース戦(阪神鳴尾浜球場)では5回途中15失点の大炎上で初めて敗戦投手となった[6]。4月12日の対広島東洋カープ戦(ちゅ〜るスタジアム清水)では8回92球を投げ、被安打2、与四球0、無失点の快投を見せて初めて勝利投手となり、チームにとっての初めての連勝ならびに本拠地球場での初勝利に貢献した[7][8][9]。最終的に二宮衣沙貴と並んでチームトップの5勝(7敗)を挙げてシーズンを終えた[10]。一方、防御率4.93は規定投球回到達者8人中の8位であった[11]。
2025年もローテーションで先発登板を重ね、2年連続で規定投球回に到達[11]。21試合の登板でリーグ最多投球回となる110回を投げた[12]。最終的に4勝(9敗)を挙げ、大石航と並んでこの年もチームトップの勝利数を記録し、防御率も3.68と前年より改善した[13]。12月23日、来季から読売ジャイアンツの打撃投手になることが発表され、現役引退となった[14]。
選手としての特徴
人物
詳細情報
背番号
- 16(2024年 - 2025年)