如意申町
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| 如意申町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯35度14分51.46秒 東経136度56分53.85秒 / 北緯35.2476278度 東経136.9482917度座標: 北緯35度14分51.46秒 東経136度56分53.85秒 / 北緯35.2476278度 東経136.9482917度 | |
| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 1]) | |
| 人口 | 6,417 人 |
| 世帯数 | 2,714 世帯 |
| 面積(2015年(平成27年)10月1日現在[WEB 2]) | |
| 0.956858985 km² | |
| 人口密度 | 6706.32 人/km² |
| 郵便番号 | 486-0918[WEB 3] |
| 市外局番 | 0568[WEB 4] |
| ナンバープレート | 春日井[WEB 5] |
地名の由来
元々昭和時点で如意申町の1丁目から7丁目までの大半は成立していた。1996年の区画整理により旧高山町字広田の南東部を如意申町5丁目10の全域、11の全域、12の北半分を編入及び旧如意申町字広田を5丁目12の南半分、13の全域と6丁目18の全域として、この時に新設された如意申町8丁目の形成に字上之場の大半と稲口町字二軒屋をもって成立。同時に如意申町字上之場の残部を朝宮町2丁目に編入となった。これをもって如意申町から字が付く地域が存在しなくなった。如意申町2丁目北部で14番地と18番地が欠番となっているが名鉄春日井駅付近で行われている区画整理により宮町字下夕原と字中島の一部を編入する見込みがあるものだと思われる。
隣接する如意村(のち名古屋市北区如意地区)からの移住者により開発され、また、検地が実施された1716年(享保元年)が申年であったことから、如意申新田と命名されたという[1]。また、如意申新田には小字として、丸山・上ノ場・広田・又右衛門前・松山・宮前があり、字丸山は小川某が杉山村丸山[注釈 1]から移り住んだことに、字上ノ場は石黒藤蔵なる修験者の屋敷があったことに、字広田はその字の通り、広い田があったことに、字又右衛門前は小川又右衛門の家の前であったことに、字松山は1884年(明治17年)の開墾までは松が生えていたこと、字宮前は氏神の前であったことにそれぞれ由来するという[1]。
沿革
- 1716年(享保元年) - 従来の春日井郡如意新田の一部より、同郡如意申新田が成立[1]。
- 1871年(明治4年)7月 - 廃藩置県により、尾張藩(名古屋藩)が名古屋県となり、同県春日井郡如意申新田となる[1]。
- 1872年(明治5年)4月 - 愛知県成立により、同県第3大区第9小区如意申新田となる[1]。
- 1878年(明治11年)12月 - 郡区町村編制法により、春日井郡如意申新田となる[1]。
- 1880年(明治13年)2月 - 春日井郡の東西分割にともない、東春日井郡如意申新田となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月 - 東春日井郡春日井村大字如意申新田となる[1]。
- 1906年(明治39年)7月 - 東春日井郡勝川町大字如意申新田となる[1]。
- 1943年(昭和18年)6月 - 春日井市勝川町大字如意申新田となる[1]。
- 1961年(昭和36年)6月 - 春日井市如意申町が成立[1]。
- 1988年(昭和63年)8月 - 土地区画整理事業の完成により、小字が消滅し、丁目が設定される[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
| 1995年(平成7年)[WEB 6] | 1586世帯 4780人 | |
| 2000年(平成12年)[WEB 7] | 1872世帯 5421人 | |
| 2005年(平成17年)[WEB 8] | 1982世帯 5567人 | |
| 2010年(平成22年)[WEB 9] | 2238世帯 6024人 | |
| 2015年(平成27年)[WEB 10] | 2463世帯 6121人 | |
| 2020年(令和2年)[WEB 1] | 2714世帯 6417人 |

