大分工業から社会人野球の星野組、明電舎を経て、1949年に大映スターズへ入団。
独特のフォームのサイドスローであり、カーブや高速シュートを武器に1年目の1949年から9勝を挙げ、2年目の1950年も8勝を挙げる。特に球が走っている時だけ直球を決め球とする、普段は技巧派の投手である。
1951年9月9日にはサヨナラボークを記録している。1952年には36試合に登板し、13勝で初の2桁勝利を記録。翌年も13勝し防御率2.06でリーグ3位と健闘し、33試合連続無失点なども記録する。オールスターゲームにも選抜されたが、出場できなかった。しかし、以降は登板回数も減り1956年に現役を引退した。