娥皇

古代中国の伝説上の女性 From Wikipedia, the free encyclopedia

娥皇(がこう)は、古代中国伝説上の女性。の娘で、妹の女英とともにの妻となった。娥肓、娥娙、倪皇、后肓とも表記される。は伊祁氏。

娥皇と女英(『古今百美図』)

列女伝』によれば、堯は舜の徳を高く評価し、二人の娘である娥皇と女英を舜に嫁がせたという。娥皇・女英は舜を助け、その父の瞽叟や異母弟の象による迫害から幾度も危機を回避させたとされる。舜が帝位を継ぐと、娥皇は后、女英は妃となり、聡明貞仁で天下に知られたという。

舜が崩御した後、娥皇・女英はその死を深く悲しみ、湘水流域で涙を流したと伝えられる。『博物志』などには、その涙が竹に落ちて斑点となり、「斑竹」あるいは「湘妃竹」の由来になったという伝説が記されている。

湘君・湘夫人との関係

楚辞』「九歌」に登場する湘君・湘夫人については古くから解釈が分かれている。一般には湘君を男神、湘夫人を女神とする説が有力であるが、漢代以降には娥皇・女英と結び付けて解釈されるようになった。

史記』「秦始皇本紀」には、秦始皇帝が洞庭湖の湘山を訪れた際、湘君について「堯の娘であり舜の妻となった者」であるとの説明を受けたという記述がある。また、『列女伝』にも娥皇・女英を湘君と結び付ける記述がみられる。

南宋の洪興祖『楚辞補注』では、湘君を娥皇、湘夫人を女英に比定する説がみられる。一方で、楚地固有の水神信仰と舜妃伝説が後世に習合したとする見解もある。

民間信仰

山西省洪洞県羊獬村から歴山・万安一帯には、娥皇・女英に関する民間信仰が伝えられている。当地では、羊獬村を二妃の故郷、歴山を舜の故郷とする伝承があり、娥皇・女英は「姑姑」あるいは「娘娘」と呼ばれて信仰されている。

この伝承に基づき、「接姑姑迎娘娘」と呼ばれる往来儀礼が行われており、「洪洞走親習俗」として知られる。この習俗は2008年に中国国家級無形文化遺産に登録された[1]

の『百美新詠図伝』では、中国歴朝で最も名高い美人百人に選ばれている。

脚注

参考文献

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