宇治上神社

京都府宇治市にある神社 From Wikipedia, the free encyclopedia

宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社式内社で、旧社格村社[1]。隣接する宇治神社とは対をなす。

所在地 京都府宇治市宇治山田59
位置 北緯34度53分31.6秒 東経135度48分41.4秒
社格 式内社(小)
村社
概要 宇治上神社, 所在地 ...
宇治上神社

本殿(国宝
所在地 京都府宇治市宇治山田59
位置 北緯34度53分31.6秒 東経135度48分41.4秒
主祭神 菟道稚郎子命
応神天皇
仁徳天皇
社格 式内社(小)
村社
創建 不詳
本殿の様式 五間社流造(内殿に一間社流造3棟)
別名 離宮明神
例祭 5月1日
地図
宇治上神社の位置(京都府内)
宇治上神社
宇治上神社
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鳥居

ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。

祭神

祭神は次の3柱。

  • 左殿:菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)
    『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記される。応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという話で知られる。
  • 中殿:応神天皇
    第15代天皇。菟道稚郎子命の父。
  • 右殿:仁徳天皇
    第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳で「宇治神社二座」と見える2座のうち1座に比定される。この「二座」を祭神と見た場合、菟道稚郎子を1座とすることは動かないものの、もう1座については父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売とする諸説がある[2]

歴史

創建

創建年代などの起源は明らかではない。宇治上神社のすぐ近くには宇治神社があるが(北緯34度53分27.77秒 東経135度48分38.52秒)、宇治上神社とは二社一体の存在であった[3]。宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる[3]

宇治上神社の境内には「天降石」・「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境信仰による創祀という説もある[3][2]

概史

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるが、その2座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社に比定される[3]。なお、宇治上神社の本殿は本来左右2棟であるとして、「宇治神社二座」は宇治上神社のみを指すという説もある(3棟の建築年代については後述)。神名帳の「鍬靫」の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。

明治以前は宇治上神社は「上社」・「本宮」、宇治神社は「下社」・「若宮」と呼ばれたほか、両社を合わせて「宇治離宮明神」・「宇治離宮八幡宮」と総称された[3]

明治に入って宇治神社とは分離し、近代社格制度では村社に列した。

2004年平成16年)2月の奈良文化財研究所や宇治市などによる年輪年代測定調査では、本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」であることが裏付けられた。また、永承7年(1052年)創建の平等院との深い関連性が指摘されている。

境内

拝殿(国宝)
  • 本殿(国宝) - 平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされる。流造、桁行5間(正面)、梁間(側面)3間、檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する)。内殿は左殿(向かって右)に菟道稚郎子命、中殿に応神天皇、右殿(向かって左)に仁徳天皇を祀る(左殿・中殿・右殿を順に第一殿・第二殿・第三殿ともいう)。左殿と右殿は組物が三斗で、組物間に蟇股を置くなど、形式・規模がほぼ等しいが、細部の様式から左殿の方が年代が上がるとみられる。中殿は左右殿より規模が小さく、組物を舟肘木とし、蟇股を用いないなど、形式にも違いがある。外側の桁行5間、梁間3間の建物は内殿の覆屋にあたるが、内殿と覆屋は構造的に一体化しており、左殿と右殿の側廻りや屋根部分は覆屋と共通になっている。左殿と右殿の内陣扉内側には彩絵があり、建物とは別個に「絵画」として重要文化財に指定されている。左殿の扉絵は唐装の童子像2体、右殿の扉絵は束帯・持笏の随身像2体で、剥落が多いが、平安時代にさかのぼる垂迹画の作例として貴重である。この本殿は国宝に指定されている[4]
  • 拝殿(国宝) - 鎌倉時代前期の造営で、寝殿造の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す。桁行6間のうち、向かって左端の1間は柱間が狭く、隣接する庇部分とともに閉鎖的な1室を構成する。建物右端の庇部分も1室となり、これらに挟まれた中央の桁行5間 x 梁間3間分を広い1室とする。屋根は切妻造平入りの屋根の左右端に片流れの庇屋根を設ける。切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と称する。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸を多用した住宅風の構えである。この拝殿は、本殿同様に国宝に指定されている[5]

その他

  • 天降石 - 「岩神さん」とも呼ばれている。「隕石である」、や「かつて何らかの社があった跡」ともいわれる。磐境信仰による創祀という説もある。
  • 桐原水 - 桐原水と称される湧き水があり、「宇治七名水」のうちでは唯一現存するものである。
  • 表門
  • 社務所

摂末社

春日社(国の重要文化財

祭事

  • 歳旦祭 (1月1日)
  • 日待祭 (1月15日)
  • 春季例大祭 (5月1日-5日) - 宇治市槙島町の氏子が5月5日の本祭を執り行う。
  • 新茶献茶式 (6月1日) - 上林春松、福寿園、辻利兵衛、中村藤吉等が参列。献茶担当は瑞芳菴流煎茶道
  • 八朔祭 (9月1日) - 通称「砂持ち」。
  • 日待祭 (10月14日)
  • 新嘗祭 (12月15日)

文化財

国宝

  • 本殿(建造物)
    平安時代後期の造営。1902年明治35年)4月17日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1950年昭和25年)の文化財保護法施行により重要文化財に指定、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定[7]
  • 拝殿(附 桟唐戸4枚、蟇股1箇)(建造物)
    鎌倉時代前期の造営。1902年(明治35年)7月31日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により重要文化財に指定、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定[8]

重要文化財(国指定)

本殿扉絵
(国の重要文化財)
右殿の随身像。
  • 摂社春日神社本殿(建造物)
    鎌倉時代後期の造営。1912年(明治45年)2月8日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により重要文化財に指定[6]
  • 本殿扉絵(板絵著色) 4面(絵画)
    第一殿に童子像2枚、第三殿に随身像2枚。平安時代の作。1977年(昭和52年)6月11日指定[9]

京都府指定有形文化財

  • 末社厳島社
  • 末社香椎宮
  • 末社武本稲荷社
  • 宇治上神社文書 1,060点

現地情報

所在地

交通アクセス

周辺

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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