父の即位前は山於女王(やまのうえじょおう)と呼ばれていたが、内親王宣下により名を改めることとなった。淳仁天皇の即位間もない天平宝字2年8月19日に、池田王(淳仁天皇の兄)らが伊勢神宮へ派遣されて斎王の事を報告しており、この頃伊勢斎宮に卜定されたと思われる[2]。
天平宝字5年8月29日(761年10月2日)に大祓が行われ[3]、翌9月に伊勢へ群行したが、天平宝字8年10月9日(764年11月6日)の父の廃位により退下した。その後、礒部王(長屋王の孫で高階氏の祖)の妻となって石見王(いわみおう)を産んだとされる[4]。