安田善衛
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1876年(明治9年)、安田忠兵衛の長男として生まれる。幼名、芳次郎[1]。1896年5月に家督を相続した[2]。群馬商業銀行頭取、京都銀行頭取、第三銀行取締役、安田商事取締役、安田銀行取締役[3]、保善社理事等を歴任した。1921年に安田善次郎が死去すると、安田善四郎、安田善助とともに保善社理事を辞任した[4][5]。
牛込区(現、新宿区)納戸町に居住したほか[3]、中央本線豊田駅北口に屋敷を、平山橋北の七生村大名淵(だいみょうぶち)にも別荘を所有し、浅川の別荘対岸に桜並木を植えたり、趣味の篆刻で豊田駅の駅名看板を作成して寄付するなどした。屋敷に能舞台を設置し、謡曲の教授なども行った[6][7]。
第二次世界大戦後、連合国軍総司令部の日本の戦後改革の一環として財閥解体が進められ、1948年には財閥同族支配力排除法により、安田一、安田楠雄、安田善五郎らとともに財閥同族に指定された[8]。1947年4月17日に死去[9][10]。孫の武夫が家督を相続し[9]、これに伴って同族に追加指定された[10]。
その後、死去後の1951年に、持株会社整理委員会令に基づく指定者としての指定を解除された[11]。

日野尋常高等小学校豊田分教場(現、日野市立豊田小学校)では、優秀な卒業生に送る安田賞を創設した[6]。1950年代の別荘取壊し時に移築された敷地内の稲荷は、平山季重神社の祠として整備され、2005年に50年ぶりに建て直されるまで使われた[7]。
親族
脚注
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- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『人事興信録 2版』人事興信所、1908年6月、896頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779811/524。
- 1 2 3 4 5 6 『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年、ヤ32頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12994181/780。
- 1 2 3 「安田善衛 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ↑ 小早川洋一「安田善次郎死後の安田財閥の再編成 - 結城・森改革の過程と意義について -」『経営情報学部論集』第1巻第1号、中部大学経営情報学部、1985年1月、27-42頁、ISSN 0910-8874、CRID 1050845763477988992。
- ↑ 宇田川勝「財閥の改革者 ―結城豊太郎と池田成彬― (日本の企業家活動シリーズ No.40)」法政大学
- 1 2 第15話 安田善衛と安田賞野市郷土資料館
- 1 2 季重神社日野市観光協会
- ↑ 官報 昭和23年号外第1号 3頁
- 1 2 『安田保善社とその関係事業史』「安田保善社とその関係事業史」編修委員会(安田不動産内)、1974年、903頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12010825/489。
- 1 2 高石末吉『覚書終戦財政始末 第14巻(持株会社整理委員会の活動)』大蔵財務協会、1971年、1031頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11952675/527。
- ↑ 官報 昭和26年本紙第7350号 170頁
- ↑ “安田善次郎年譜”. 富山県立図書館. 2025年10月23日閲覧。
- 1 2 『人事興信録 6版』人事興信所、1921年、や110頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/798。
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