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宮國椋丞

日本のプロ野球選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

宮國 椋丞(みやぐに りょうすけ、1992年4月17日 - )は、沖縄県糸満市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。トラロックエンターテインメント所属[1]。

国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県糸満市
(石川県金沢市生まれ)
生年月日 (1992-04-17) 1992年4月17日(34歳)
身長
体重
186 cm
88 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
宮國 椋丞
2023年3月25日 ベルーナドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県糸満市
(石川県金沢市生まれ)
生年月日 (1992-04-17) 1992年4月17日(34歳)
身長
体重
186 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト2位
初出場 2012年4月8日
最終出場 2023年8月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
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「國」の字は旧字体であるため、メディアによっては「宮国」と表記されることもある。

経歴

プロ入り前

石川県金沢市生まれ[2]。兄の影響で小学1年生で野球を始める。高嶺中学校時代は軟式野球部に所属[3]。

糸満高校では沖縄県1年生大会決勝で興南高校に投げ勝ち、7年ぶりの優勝に貢献。2年春からエースとして活躍し、3年夏には県大会決勝に進むも島袋洋奨を擁する興南高校に敗れた[4]。高校の1学年下には神里和毅がいた[5]。

2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから2位指名を受け、契約金6000万円、年俸600万円で入団に合意[5]。背番号は30[6]。糸満高校からは初のプロ野球選手誕生となった[5]。担当スカウトは武田康[7]。

巨人時代

2011年は、イースタン・リーグで4試合に登板し、19イニングを投げて自責点0だった[8]。シーズン後は宮崎秋季キャンプに参加し、川口和久投手総合コーチから高評価を得た[9]。オフに、30万円増の推定年俸630万円で契約を更改した[10]。

サインに応じる宮國(2012年)

2012年は、春季キャンプから一軍に帯同[11]。3月25日に行われたオークランド・アスレチックスとの親善試合では先発して5回9奪三振1失点の好投を見せ[12]、開幕ローテーション入りを果たし、4月8日の阪神タイガース戦で一軍公式戦初登板初先発。7回を1失点に抑え、巨人では槙原寛己以来29年ぶりとなる10代での初登板初勝利を挙げた[13][14]。さらに5月1日の広島東洋カープ戦ではプロ初完投・初完封勝利を記録。高卒2年目での完封は巨人では桑田真澄以来となった[15]。しかし、5月16日のオリックス・バファローズ戦で右肩に違和感を覚え、翌日に登録抹消。二軍での調整を経て7月15日に一軍復帰。8月5日の横浜DeNAベイスターズ戦で3か月ぶりの勝利を挙げると[16]、レギュラーシーズン終了まで先発ローテーションの一角を担った。最終的に17試合登板(16先発)、6勝2敗、防御率1.86を記録。ポストシーズンは2試合に登板し、中日ドラゴンズとのCSファイナルステージ第3戦に先発して5回3失点[17]。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦に先発し7回3安打無失点[18]。いずれも勝敗はつかなかった。アジアシリーズでは決勝のラミゴ戦に先発。6回1失点で勝利投手となった[19]。オフに、970万円増の推定年俸1600万円で契約を更改した[20]。

2013年は、WBCに出場したエース内海哲也の代役として開幕投手を務めた。20歳での開幕投手は1988年の桑田真澄以来で[21]、7回途中3失点で勝ち星はつかず。7月25日の広島戦で2回途中8失点で降板したほか[22]、シーズン3度の二軍降格を経験した。10月3日に右下腿内側痛が判明し、ポストシーズンの出場が絶望的となった[23]。CSには出場せず、日本シリーズの40人枠からも外れた。レギュラーシーズン17試合に先発し、6勝7敗、防御率4.93。オフに、現状維持の推定年俸1600万円で契約を更改した[24]。

読売ジャイアンツ時代(2014年)

2014年は、オープン戦から不調が続き、開幕一軍から外れる。4月と8月に1度ずついずれも横浜DeNAベイスターズ戦に先発するも2試合とも4回持たずKOされ、二軍に降格した。10月6日、広島戦で先発し7回1失点と好投、前田健太に投げ勝ちチームの最終戦でようやく初白星を挙げた[25]。オフに、野球協約の減額制限(1億円以下は25%)いっぱいとなる400万円減の推定年俸1200万円で契約を更改した[26]。

2015年は、先発から中継ぎに転向し、新人の戸根千明と共に、主に点差の付いた試合やスコット・マシソン、山口鉄也に繋げる役割を果たし中継ぎの一角として活躍。39試合に登板し、3勝1敗1セーブ5ホールド、防御率2.94を記録。オフに、700万円増の推定年俸1900万円で契約を更改した[27]。

2016年は、7月29日に右肩のコンディション不良で登録抹消されたが[28]、中継ぎとして34試合に登板し、4勝1敗6ホールド、防御率2.95を記録。オフに、800万円増の推定年俸2700万円で契約を更改した[29]。

2017年は、開幕を二軍で迎え、4月11日に一軍に昇格。3年ぶりに先発に復帰したものの6月までに0勝7敗(1敗はリリーフでの敗北)、チームでは2005年の桑田真澄以来となる7連敗を喫する[30]など、17試合登板(9先発)で1勝7敗1ホールド、防御率4.74を記録。オフに、300万減の推定年俸2400万円で契約を更改した[30]。

2018年は、中継ぎとして29試合に登板し、0勝0敗4ホールド、防御率1.97を記録。オフに、240万円増の推定年俸2640万円で契約を更改した[31]。

2019年も全て中継ぎで28試合に登板し、0勝2敗3ホールド、防御率3.94を記録。オフに、100万円増の推定年俸2740万円で契約を更改し、背番号を58に変更した[32]。

2020年は、21試合登板(うち1試合先発)、0勝0敗、防御率5.33だった。10月5日の阪神戦に登板するも、右肩痛を訴え、右肩のコンディション不良で翌6日に登録抹消された[33]。その後、リハビリを重ねキャッチボールを再開していたが、11月11日に、球団から戦力外通告を受けた[34]。巨人からは球団スタッフ入りの打診もあったが、このままでは終わりたくないという思いが強く固辞[35]。12月2日に自由契約公示[36]。

12月7日に12球団合同トライアウトに参加。シート打撃で小山翔平を二飛に抑え、吉川大幾からこの日最速の140km/hの直球で三振を奪うも、堀内汰門には安打を許した[37]。トライアウトの結果をもってのNPB球団からのオファーはなかったが、現役続行を目指して渋谷区内の公園で練習したり[38]、年末年始に故郷の沖縄で兄を相手にブルペン投球したり[39]など、トレーニングに取り組む。2021年1月には元同僚の内海哲也らの自主トレーニングに同行し[39]、同月後半からは内海の元専属トレーナー・保田貴史と2人きりでのトレーニングを継続[40]。2月からは神奈川県内で保田とともに自主キャンプを開始し[40]、視察に訪れた巨人の元投手コーチ・小谷正勝からアドバイスを受けるなどしていた[38][41]。

DeNA時代

宮國が自主トレーニングを継続している中で、2020年末から横浜DeNAベイスターズの球団スカウトは宮國に注目しており、状態が上がってきたとの情報から、2021年3月上旬にDeNAから横須賀の二軍施設に招かれた[42]。メディカルチェックなどで問題がなかったことからDeNAへの入団が決まり、15日に推定年俸840万円で育成選手契約を結んだ。背番号は106[43][44]。

2021年8月30日、支配下選手登録されることが発表され、背番号は65となった[45]。9月7日に出場選手登録され[46]、同日の古巣巨人戦に先発すると、5回2失点に抑え4年ぶりの勝利を挙げた[47][48]。最終的には3試合に先発登板し防御率6.19、1勝1敗という成績だった[49]。12月2日に行われた契約更改交渉では現状維持の推定年俸840万円でサインした[50]。

2022年からDeNAのコーチングアドバイザーに巨人時代の恩師でもある小谷正勝が就任し、キャンプから助言を受ける[51]。開幕から二軍で3試合に登板し好投を続けた後、4月16日に一軍に合流[52]。ロングリリーフとしての起用が続いていたが、先発投手の枠の兼ね合いで6月8日に登録抹消された[53]。最終的に全て中継ぎで17試合の登板で2ホールド、防御率8.71という成績だったが、翌年も契約を結ぶ見込みで、11月からは球団が業務提携を結ぶオーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーに入江大生とともに派遣される[54]。

2023年は5月と8月に一軍選手登録され、それぞれ1度ずつ登板した。10月3日に戦力外通告を受けた[55]。

DeNA退団後

引退後は不動産業界に転身[1]。2024年3月16日、宅建試験への挑戦をサポートするYouTubeチャンネル「こざりえの宅建合格講座」の配信動画にて、生徒役として動画に出演することが発表された[56]。同年10月20日に宅建試験を受け、11月26日にInstagramのストーリーズで合格を報告した[57]。

2024年10月から放送のテレビドラマ『バントマン』の投手指導に携わり、第1話には主人公の相手投手役として出演もした[58]。

選手としての特徴

2011年

ワインドアップから長身を活かして投げるスリークォーターから繰り出すナチュラルに変化する最速150km/hのストレート[59][60][61][62]に加え、スライダー、スローカーブ、フォークボールが持ち球[63]。加えて2012年シーズン中にツーシームを習得した[64][65]。打たせて取る投球スタイル[66]。高校時代から肘のしなりや低めへの制球力に定評があり[67]、牽制、クイック、フィールディング[68]など、マウンドさばきも巧み[69]。首脳陣からの評価も高く[70]、将来のエース候補と期待されていた[71]。

人物

インタビューや囲み取材は苦手とするなどシャイな一面がある[72]。以前は偏食家で野菜や果物はほとんど食べなかったが、球速アップを目指して2012年から食生活の改善に取り組んでいた[73][74]。

詳細情報

年度別投手成績

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年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
2012 巨人 17161106200.75038697.07642813543127201.861.07
2013 17170006700.46240187.211383502502052484.931.69
2014 330001100.5006414.022330162011106.431.79
2015 3900003115.75019449.03841510283017162.941.08
2016 3400004106.80016239.2386900140014132.951.18
2017 1790001701.12524657.06451800410132304.741.44
2018 2900000004----13332.027410032500871.971.16
2019 2800000203.00012229.2262901211016133.941.21
2020 2110000000----10925.1275810221015155.331.38
2021 DeNA 330001100.5006816.0183500140011116.191.44
2022 1700000002----10320.2356501131020208.711.94
2023 200000000----214.071100300436.752.00
通算:12年 227491102222121.5002009472.0491511463112911322272063.931.35
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  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
年
度
球
団
投手
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
2012 巨人 17101321.920
2013 17220011.000
2014 30010.000
2015 390810.889
2016 34411001.000
2017 172620.800
2018 2924001.000
2019 280410.800
2020 2114011.000
2021 DeNA 314001.000
2022 1708001.000
2023 210001.000
通算 227238273.938
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  • 2023年度シーズン終了時

記録

初記録
投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2012年5月1日、対広島東洋カープ4回戦(東京ドーム)、3回裏に篠田純平から中前適時打
その他の記録

背番号

  • 30(2011年[6] - 2019年)
  • 58(2020年[32])
  • 106(2021年[43] - 2021年8月29日)
  • 65(2021年8月30日[45] - 2023年)

脚注

関連項目

外部リンク

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