宮城光
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1982年に鈴鹿サーキットでオートバイ・ロードレースにデビューし、走りを認められモリワキレーシングのマシンに乗るチャンスを得る[2]。1983年の全日本ロードレース選手権ではノービス250ccクラスとTT-F3クラスでチャンピオンを獲得。同年7月末に行われた”ノービスレーサーの祭典[3]”である『鈴鹿4時間耐久レース』では、モリワキチューンのZero X-1(ホンダ・CBX400Fのエンジンをモリワキオリジナルフレームに搭載[4])を福本忠とのコンビで優勝に導き、ロードレースファンにその存在が広く知られるようになる[5]。1984年の全日本ロードレース選手権では国際B級TT-F1とTT-F3両クラスでチャンピオンを獲得。1985年より国際A級に昇格し、以後1987年までモリワキチューンのマシンでTT-F3クラス、TT-F1クラス、GP250ccクラスに参戦。1987年の第11戦鈴鹿・250ccクラスでは、ホンダ・NSR250のエンジンをモリワキ独自のアルミフレームで包み込んだ「モリワキ・ZERO-Z250」で国際A級昇格後の初優勝を挙げる。
1988年より、モリワキを離れホンダワークス(HRC)入りし、最高峰クラスである500ccにNSR500で4シーズン参戦した。1991年シーズンが全日本500ccクラスへの最後の参戦となり、以後はアメリカへ渡り全米選手権に挑戦した。1998年に帰国後は国内4輪レース(スーパー耐久)に参戦。翌年ST-4クラスシリーズチャンピオンに輝く。2001年には十勝24時間レースにホンダ・インテグラで参戦。土屋圭市、金石勝智、伊藤大輔と共にクラス優勝を果たしている[6]。また、全日本GT選手権にも2000年に参戦した経験を持つ[7]。現在はインストラクターとして、安全運転の講習会の講師やドライビングレッスンの指導を行う他、鈴鹿8時間耐久レースの監督やロードレース世界選手権のテレビ解説者としても活動する[8]。
2025年11月24日、八王子警察署の一日署長に就任し、レーサー経験を生かした街中でのスピード感覚の注意点や交通安全への生かし方を一般運転者に伝える役目を担った[9]。
レース戦績
脚注
- ↑ “プロフィール|ドライダー「宮城光」オフィシャルサイト”. www.hikarun.net. 2023年11月23日閲覧。
- ↑ モリワキレーシングの黄金期を作ったライダーたち。左端が宮城光、その隣が樋渡治、ひとりおいて八代俊二、福本忠、松野鈴一 ヤングマシン (2024年7月30日)
- ↑ 俺たちのヨンタイ 45年の歴史に幕 webミスターバイク モーターマガジン社 (2024年9月6日)
- ↑ ZERO-X1:超激戦のTT-F3を制したアルミフレーム ヤングマシン (2025年7月18日)
- ↑ 真夏の祭典鈴鹿8時間耐久レース(8耐)が始まったのは1978年。その2年後に4時間耐久レース(4耐)が始まる Honda Racing (2001年7月)
- ↑ “RRR / レースレコード & リザルト”. www.cobans.jp. 2023年11月23日閲覧。
- ↑ “GT INSIDE REPORT - 2000 Round1”. supergt.net. 2023年11月23日閲覧。
- ↑ jama (2021年8月23日). ““久しぶり”だからこそ聞いて欲しい。これからライダーとして復活するみなさんへ(宮城光さん)”. MOTOINFO(モーターサイクルインフォメーション). 2023年11月23日閲覧。
- ↑ 「止まれますか。避けられますか。周りに迷惑をかけていませんか」プロレーサーの宮城光さんが1日警察署長に就任 交通安全を呼びかけ 警視庁八王子署 TBSニュースDIG (2025年11月25日)