寄村
日本の神奈川県足柄上郡にあった村
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地理
歴史
沿革
- の7村を東山家入(ひがしやまがいり)七村と呼ぶ、と記されている[注釈 1]。
村名の由来
寄村という村名が付けられた経緯については、当時の記録が残っておらず不明である[7][8]。
明治8年(1875年)の合併当時、寄村の村長は萱沼村の村長も兼ねていた安藤安賀であったことから、当時の状況を踏まえて安藤が村名を定めた可能性があると考えられている[7]。
一方で、東山家入七ヶ村が寄り合って成立したことに由来する、という説がある[9][10][11]。この説は、井上毅文部大臣が明治26年(1893年)に寄村を視察した際の日記(梧陰存稿)の記述に由来する可能性がある[12][8]。日記には「一村挙りて親族の如く」「真の自治の村というべき」など、村のまとまりを称賛する趣旨の記述があり[13]、当時の状況を「寄」の一字で言い表すのにふさわしいと評されている[8]。こうした評価が後年「寄り合い」説の由来となったともされるが、視察は合併(明治8年)より後の出来事であるため、村名を定めた直接の由来とは区別して捉える必要がある。
「寄」の読み方
『「寄」の呼び名について』(橋本 1959)では、次のように述べられている[7]。
- ある郷土誌研究家は「七村を合併したのであるから(より)村と云うべきであつたろう」と言っている。
- 村営のバスやトラックに書かれた村名は「やどりぎ」「やどろぎ」「やどろき」とまちまち。
- このことからも、どの呼び名がほんとうなのか、土地の人自身もはつきりしていない。
- 平凡社刊行の大辞典には「ヤドリギ 寄村神奈川県足柄上郡の東部」と書かれている[14][注釈 2]。
- 明治十八年編纂の皇国地誌には「やどりき(也抒利喜)」村と記されている[17][注釈 3]。
- 呼び名の起こりについて、正確に知る人も、記録もない。
- 当時の事情から判断すると、萱沼村の戸長であり新村生みの親である安藤安賀が独りで村名を定めたのであろう。