富井清
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三重県生まれ[1]。1925年(大正14年)金沢医科大学医学専門部を卒業後[1]、京都府立医科大学眼科副手を経て、京都府保険医協会理事長や京都府医師会長、京都府公安委員を歴任[1]。
1967年1月8日、京都市長の井上清一が在職中に死去。井上の死去に伴って2月26日に行われた京都市長選挙挙に、日本社会党・日本共産党や府市内の労働組合に加え府医師連盟などで作る「全京都市民会議」に推されて立候補。翌27日に開票され、自由民主党・民社党が推薦する前京都市交通局長の八杉正文との一騎打ちを制し、初当選を果たした[2]。
市長在任中は心身障害者扶養共済事業条例(市単独事業)施行や全国初のろうあセンター(現・京都市聴覚言語障害センター)開設[3]に踏み切るなど、福祉を重視した政策を展開。また、同じく革新系の知事蜷川虎三と共に無担保無保証人融資制度[4]を開始し、同制度は後に全国へと広がった。
1970年、市議会に上程された交通再建計画案(赤字を抱える京都市電を早期撤去し、給与のベースアップに回す内容)をめぐり与党の共産党と対立した[5]。同年9月5日に病に倒れ、9月28日開会の市議会定例会では助役の舩橋求己が市長職務代理者を務めた[6]。
1971年の京都市長選挙には不出馬。そのまま政治の世界から遠ざかった。
人物
脚注
参考文献
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。