寒河江元時
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応安元年/正平23年(1368年)漆川の戦いで寒河江大江氏が大敗し、応安6年/文中2年(1373年)祖父大江時茂が北朝側に和を乞い降ることを遺命して生涯を閉じたため、父時氏は嫡男元時を人質として鎌倉公方足利氏満の元に送り本領安堵一家正嫡の御教書を受けた。元時は16歳までの9ヶ年を鎌倉で過ごした(『安中坊系図』)。元中8年9月10日(1391年)父が没し寒河江氏を継いだ。
応永6年(1399年)稲村・篠川に鎌倉方の御所が開設されると、伊達氏・大崎氏が反旗を翻し幕府(京都)側がこれを支持したため争いとなり、元時は鎌倉方につき室町幕府・伊達氏と対立する事になった。応永9年(1401年)伊達氏苅田城攻めに兵を送る(『戸沢家譜』)。この頃、最上満家に一族の娘を輿入れさせたとみられる[2]。父に引き続いて、寒河江城の整備を行ったとされる。