寺島町
日本の東京府南葛飾郡にあった町
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地理
沿革
寺島村の起源
鎌倉時代、当地に法泉寺、蓮華寺の2寺が開基され、これが機縁となり、寺島/寺嶋と呼称されるに至った。1398年(応永5年)の葛西御厨(伊勢神宮に寄進された荘園)の郷名の一つとして、寺嶋の名が記録されている。
江戸時代には将軍家の鷹場(御拳場/おこぶしば)の一つである「葛西筋」45箇村の内に含まれ、鷹狩の場としても活用された。
年表
寺島町廃止後
寺島町役場は、廃止後改修・増築の上、1936年まで向島区役所として使われた[12]。
区の再編により墨田区となってからも「寺島町」は地名として使用されていたが、1964年(昭和39年)7月1日から1965年12月1日にかけて順次住居表示が行われ、墨田区内の町名に「寺島町」は現存しない[13]。
町村長
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 小島重兵衛 | 1889年(明治22年)4月 | 村制施行 | |
| 2 | 山崎四郎兵衛 | 1900年時点[15] | ||
| 3 | 中山新次郎 | 1901年時点[16] | ||
| 4 | 高木浦蔵 | 1902年時点[17] | ||
| 5 | 橋本幸蔵 | 1904年(明治37年)4月27日 | 1906年(明治39年)3月17日 | |
| 代理 | 宇田川要蔵 | |||
| 6 | 小島重兵衛 | 1907年(明治40年)7月23日 | 1914年(大正3年)5月20日 | |
| 代理 | 鈴木平吉 | |||
| 7 | 小島富次郎 | 1915年(大正4年)8月1日 | 1921年(大正10年)11月19日 | |
| 8 | 有馬秀雄 | 1921年(大正10年)12月14日 | 1925年(大正14年)2月5日 | 在任中に町制施行 |
| 9 | 福井伊兵衛 | 1925年(大正14年)7月9日 | 1926年(大正15年)12月23日 | |
| 10 | 渋谷雄太郎 | 1927年(昭和2年)5月2日 | 1927年(昭和2年)8月19日 | |
| 11 | 小野藍次郎 | 1927年(昭和2年)10月29日 | 1931年(昭和6年) | |
| 12 | 有馬秀雄 | 1931年(昭和6年)11月5日[18] | 1932年(昭和7年)9月30日 | 寺島町廃止 |
字名・現在の地名
1911年時点での大字・字・番地
「馬場」等の名称は、1875年(明治8年)、従来の小名や、耕地等に付けられた字名を整理して、新たに行政上の字の名称として定められたものである。
出典[2]
- 大字寺島
- 馬場 1 - 286番地
- 北玉ノ井 287 - 530番地
- 本玉ノ井 531 - 827番地
- 長浦 828 - 981番地
- 北居村 982 - 1221番地
- 南居村 1222 - 1414番地
- 前沼 1415 - 1594番地
- 中堰 1595 - 1709番地
- 新田 1710 - 2127番地
- 深瀬入 2128 - 2285番地
- 水道向 2286 - 2740番地
- 堤外 2741 - 2960番地
- 大字中ノ郷
- 殿田 204 - 211番地
- 大字隅田
- 寺島境 1254 - 1255番地
- 大字若宮
- 大道南 246 - 250番地
- 大字大畑
- 西 778 - 785番地
- 大字請地
- 葭沼 1035 - 1036、1051 - 1099番地
- 沼田 1100 - 1101、1213 - 1224番地
- 大畑前 1225 - 1268番地
- 大字須崎
- 殿田 252 - 317番地
1932年4月改正後の大字名
出典[19]
- 一丁目
- 二丁目
- 三丁目
- 四丁目
- 五丁目
- 六丁目
- 七丁目
- 八丁目
1964-1965年住居表示施行後の地名
| 住居表示実施前 | 住居表示実施日 | 住居表示実施後 (特記なき限り各町丁ともその一部) |
|---|---|---|
| 寺島町一丁目 | 1964年7月1日 | 向島五丁目 |
| 1965年3月1日 | 東向島一・三丁目 | |
| 寺島町二丁目 | 1964年7月1日 | 向島四丁目 |
| 1965年3月1日 | 東向島二丁目 | |
| 寺島町三丁目 | 1964年7月1日 | 堤通一・二丁目 |
| 1965年3月1日 | 墨田一丁目 | |
| 寺島町四丁目 | 1964年7月1日 | 押上二丁目 |
| 1965年7月1日 | 押上二丁目(編入) | |
| 1965年7月1日 | 京島一 - 三丁目 | |
| 寺島町五丁目 | 1965年3月1日 | 東向島四・五丁目 |
| 寺島町六丁目 | 1965年3月1日 | 東向島六丁目(全域) |
| 1965年12月1日 | 八広六丁目 | |
| 寺島町七丁目 | 1965年3月1日 | 墨田一 - 四丁目 東向島四・五丁目 |
| 寺島町八丁目 | 1965年12月1日 | 八広一・五丁目 |
人口
施設
学校
- 第一寺島小学校
- 第二寺島小学校
- 第三寺島小学校
- 東京都立第七中学校 - 現東京都立墨田川高等学校[27]
神社仏閣
神社
寺院
名所/名園
- 百花園(向島百花園)
- 岐雲園 岩瀬忠震(岩瀬鷗所。元外国奉行)が蟄居して住んで命名した庭園で、明治維新後には永井尚志、幸田露伴なども住んだ。大正時代には三共会社のベークライト工場の敷地となり、住友ベークライトの時代まで、長らく工場用地として活用された。2000年(平成12年)以降は墨田区立白鬚公園の一画となっている[29][30]。
- 八洲園/小松島遊園 小野義真(日本鉄道社長)の別邸で、隅田川のほとりに広大な池を有した。後に日本電気精器の敷地となった。1994年(平成6年)大林組のリバーサイド隅田が竣工した。
- 大倉別邸 大倉喜八郎の別邸で、邸宅の一部は船橋ヘルスセンターに移築され、共栄倉庫の敷地となった。
- 小倉別邸 小倉常吉(小倉石油社長)の別邸で、鍋島家の別邸跡に池田家の屋敷を移築した広壮な邸宅であった。跡地は、向島労働基準監督署、墨田区立あおやぎ保育園、ライオンズマンション東向島ほか一般的な住宅地となっている。
- 玉の井[31]
関連作品
評伝
- 『幸田露伴』塩谷賛
- 『小倉常吉伝』奥田英雄 1976年(昭和51年)
- 『滝田ゆう奇譚』深谷考 2006年(平成18年)
- 『ぬけられますか—私漫画家 滝田ゆう』校條剛 2006年(平成18年)
小説
詩歌
- 北原白秋「片恋」(詩集『東京景物詩乃其他』)
漫画
- 『寺島町奇譚』滝田ゆう
絵画
- 『雪に暮るる寺島村』川瀬巴水 1920年(大正9年)(「東京十二題」の内)
- 『白ひげ橋』藤牧義夫 1933年(昭和8年)
- 『隅田川両岸画巻』藤牧義夫 1934年(昭和9年)
落語
- 白鬚橋
演劇
- 歌舞伎『青砥稿花紅彩画』(弁天小僧)
- 『濹東綺譚』
- 『おとうと』
映画
- 『おとうと』
- 『濹東綺譚』
- 『濹東綺譚』
ドラマ
- 『ドブネズミ色の街』1963年(昭和38年)12月28日放送 NHK「テレビ指定席」
- 『寺島町奇譚』1976年(昭和51年)NHK「土曜ドラマ」
- 『おとうと』1990年(平成2年)TBS「月曜ドラマスペシャル」
交通
舟運
- 橋場の渡し(白鬚の渡し) ほぼ現在の白鬚橋の位置に当たる。対岸の橋場に渡していた。
- 寺島の渡し(中の渡し) 平作堀(現在の墨堤通りの墨田区立堤通公園、首都高速道路向島出口附近)から、対岸の橋場今戸の境界附近に渡していた。1934年(昭和9年)ごろまで存在した。
一銭蒸気
1区画の運賃が1銭であったことから「一銭蒸気」と称された蒸気船で、千住吾妻汽船会社(後に吾妻急行汽船)等の会社によって運行された。寺島村の区域内では、現在の白鬚橋の位置に「小松島」停留所があった。
鉄道
バス
道路
出典:[36]
産業
農業
寺島村であった当時は農業が盛んな地域であり、特にナスの生産で名高かった。蔓細千成種のナスが多く作られた。当地で作られたナスは復活され「寺島茄子」の名で呼ばれる。
- 『墨田の町々』76頁記載の農作物
商業
- 『墨田の町々』76頁記載の産業
- 玩具製造
- 植木鉢
- 紙加工(「ぶんこ屋」「ひょうし屋」と呼称された。)
- 紺屋・型付屋(染色)
会社/工場
- 1911年(明治44年)「東京府南葛飾郡 隅田村・寺嶋村・吾嬬村」地図記載の会社・工場名[2]
- 日本電線会社
- 久野鉄工場
- 日本ギプス工場
- 藤本煉化石工場
- 関東硫曹分工場
- 染絨会社
- 向島染工場、谷岡染工場、玉川染工場、重城染工場
- 高見沢メリヤス工場
大工場
- サトウライト(後に三共会社、日本ベークライト、住友ベークライト)向島工場 1916年(大正5年) - 1987年(昭和62年)
- 久保田鉄工
- 日本電気精器