寺田栄
日本の官僚・裁判官・政治家
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来歴
1859年(安政6年)、福岡県人・寺田案山子の長男として生まれる[1]。1877年(明治10年)に福岡で発生した士族反乱、反政府暴動である「福岡の変」に参加し、国事犯に問われたため一族と別れ、分家して一家を創立した[1]。
1882年(明治15年)、明治法律学校を卒業[1]。判事検事登用試験合格[1]。横浜地方裁判所判事などを務め、1897年(明治30年)には衆議院書記官となり、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て1917年(大正6年)5月衆議院書記官長となった。1923年(大正12年)には退官し、同年8月29日、貴族院議員に勅選されている[2]。しかし、それ以前も中華民国の孫文を支援した福岡の玄洋社に参加し幹部となっているなど政治活動は続けていた。
栄典
家族・親族
寺田家 - 東京市外戸塚町源兵衛191番地[1]