小村哲生
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| こむら てつお 小村 哲生 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1954年7月31日(71歳) |
| 出身地 |
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| 身長 | 175 cm[1] |
| 血液型 | O型[2][3] |
| 職業 | 俳優、声優、演出家 |
| ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台、アニメ、吹き替え |
| 活動期間 | 1974年[4] - |
| 所属劇団 | 劇団民話芸術座代表(1976年 - )[4] |
| 事務所 | ファット代表取締役[5] |
| 公式サイト | 小村 哲生|ファット |
| 備考 | |
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趣味で草野球チーム「民芸座アニマルズ」の オーナー兼監督を務めている。 | |
小村 哲生(こむら てつお、1954年7月31日[1] - )は、日本の俳優、声優、演出家。ファット代表取締役[5]。劇団民話芸術座代表[4]。鹿児島県出身[1]。
役者を目指すきっかけは、学生時代に下宿の先輩から「小村は役者になれ!絶対役者になれ!!」と言われたことだった[3]。先輩に誘われ、1974年に映画『野球狂の詩』で俳優デビュー[3][4]。もしも先輩に誘われていなければ、鹿児島に帰郷して小学校か中学校の教師になっていたかもしれないと述懐している[3]。
その後、厳しいレッスンが始まり、日々否定される苦しい時期が続いた[3]。だが、苦しい日々の中で負けず嫌いの性格が刺激され、本格的に芝居の勉強を始める[3]。同時に新劇の劇団に入団しては講師との諍いにより3か月で退団するなど、さまざまな俳優養成所を転々としていた[3]。早く優れた役者になり生計を立てたいと思いながらも、当時は能の謡、日本舞踊、ダンス、声楽、映像演技など、演技の勉強に没頭していた[3]。
その頃に生涯の師である富田浩太郎に出会い、彼の演出を受けて芝居の素晴らしさを理解する[3]。当初の芝居は子供たちに向けたミュージカル風のものだったが、富田は「子供たちにこそ最高の芝居を」と語っていた。この言葉に触発され、小村は富田に「子供たちに観せる芝居を、自分のライフワークにします」と誓う[3]。その後、富田の紹介でさまざまな劇団を訪れるも、どこも小村の理想とはかけ離れていた。富田から「自分で劇団を立ち上げなさい。君に足りない部分は補うから」と提案され、若かった小村は二つ返事で了承。1976年に劇団民話芸術座を立ち上げた[3][4]。小村は同劇団では代表を務め、演出家として活躍している。
1990年頃からは、親しかった柴田秀勝の勧めで声優の仕事を始める[2]。柴田の繋がりで、青二塾の卒業生が巡回公演に参加してくれるという[3]。