杜子春

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日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
杜子春
作者 芥川龍之介
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出赤い鳥1920年7月号
刊本情報
収録 『夜来の花』
出版元 新潮社
出版年月日 1921年3月14日
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杜子春』(とししゅん)とは、1920年大正9年)に雑誌『赤い鳥』にて発表された芥川龍之介短編小説李復言[1][2]編の『続玄怪録(中国語版)』及び 牛僧孺[3]編の『玄怪録(中国語版)[4]双方に収録されたとされる伝奇小説『杜子春(中国語版)』を童話化したものである。芥川龍之介は、1927年2月3日付河西信三[5]宛書簡[6] に「唐の小説杜子春傳の主人公を用ひをり候へども、話は 2/3 以上創作に有之候」と書いており、また彼の蔵書に鄭還古 撰『杜子春傳』があったらしい[7]

本項では、同作品を原作とするテレビアニメについても記述する。

王朝の洛陽[8]の都。ある春の日の日暮れ、西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。

そんな彼を哀れんだ片眼眇(すがめ、斜視)の不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまうが、杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、再び大金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。

3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子[9]という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。

峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も発しなかった。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れずに「お母さん」と一声叫んでしまった。

叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去っていった。

原拠との相違点

原拠とされる『杜子春』では、杜子春は地獄に落ちた後、女に生まれ変わって誕生するが、やはり全く物を言わず、結婚して子を産んでも喜びの声一つ発しなかったため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、そこで妻(杜子春)が悲鳴を上げたところで現実に戻り、仙人は声を出さなかったら仙薬ができ仙人になれたのに、と言って突き放す。これは、すべてのものに対する執着を捨ててこそ昇仙出来るという道教の思想に根差している。対して芥川は、親が地獄の責め苦を受ける場面に変えて、「あの時もし声を出さなかったら、お前を殺していた」と仙人に言わせ、他者への慈しみの心を尊ぶ大乗仏教に即した結末に変えている。

西岡晴彦[10]は、日本の中国文学研究者は幼児期に芥川作品を読んだことの影響で、原拠小説に接したときに解釈にある種の歪みをもたらしてはいないか、と提起している[11]

テレビアニメ

注・出典

外部リンク

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