小林大悟

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

小林 大悟(こばやし だいご、1983年2月19日 - )は、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手ポジションMF。2021年までUSLチャンピオンシップバーミングハム・リージョンFC英語版に所属していた。2004年11月13日モデル佐藤綾花結婚した。

愛称 ダイゴ
カタカナ コバヤシ ダイゴ
ラテン文字 KOBAYASHI Daigo
国籍 日本の旗 日本
概要 小林 大悟, 名前 ...
小林 大悟
スターベク時代の小林大悟(2009年)
名前
愛称 ダイゴ
カタカナ コバヤシ ダイゴ
ラテン文字 KOBAYASHI Daigo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-02-19) 1983年2月19日(43歳)
出身地 静岡県富士市
身長 178cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1998-2000 日本の旗 清水商業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2005 日本の旗 東京ヴェルディ 104 (4)
2006-2009 日本の旗 大宮アルディージャ 90 (14)
2009 ノルウェーの旗 スターベク (loan) 29 (8)
2010 ギリシャの旗 イラクリス 14 (0)
2011-2012 日本の旗 清水エスパルス 29 (0)
2013 カナダの旗 バンクーバー・ホワイトキャップス 30 (2)
2014-2017 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・レボリューション 94 (2)
2018 アメリカ合衆国の旗 ラスベガス・ライツ 32 (4)
2019-2021 アメリカ合衆国の旗 バーミングハム・リージョンFC英語版 41 (0)
通算 463 (34)
代表歴2
2003  日本U-20 4 (0)
2006[1] 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年11月5日現在。
2. 2006年8月9日現在。
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略歴

清水商高時代から佐野裕哉と共に知名度があり、卒業後東京ヴェルディ1969へ入団。翌年からはチームの主軸として確固たるレギュラーポジションを掴む。更に、ユース代表に選出されAFCユース選手権2002では準優勝。翌年の2003 FIFAワールドユース選手権への出場を果たした[2]

2004年には第84回天皇杯優勝の立役者として活躍。しかし、2005年にヴェルディのJ2降格が確定、その直後は「必ず1年でJ1に復帰します」と決意を口にしていたが、その後のフロントの対応に不信感を抱き、「共に戦ってきた選手達が解雇されたり、チームを離れなければならない状況になり、僕達はチームに本当に必要とされているのかわからなくなってしまいました」と自らのブログにて悩んでいる心境を吐露。[要出典]年をまたぎ2006年1月に大宮アルディージャへの移籍を決断した[注釈 1][要出典]また移籍発表後、自身のブログに移籍に対する批判や中傷が相次ぎ[要出典]ブログを一時閉鎖した。

2006シーズン開幕直後、トップ下でゴール・アシストを連発し攻撃を牽引するなど、更に才能を開花。この大宮での活躍で日本代表のイビチャ・オシム監督にも注目されA代表に初選出。8月9日の対トリニダード・トバゴ戦でA代表デビューを果たした[1]。その後はコンディションやチーム状況により代表には呼ばれていないが、技術の高さは秀逸。誠実な人柄が出ているブログは多くのファンに支持されている。[誰によって?]また2006年、2007年と二年連続でJOMOオールスターサッカーに出場している。

2009年1月、ノルウェー1部リーグスターベクから獲得の正式オファーを受け[3]、29日からスターベクの練習に参加[4]。2月2日にスターベクへの1年間のレンタル移籍が発表された[5]。日本人で最初のノルウェーリーグ選手となる。

ノルウェーでは持ち前のテクニックで攻撃的MF(主に左サイド)のポジションを獲得し、CL予備戦ではFCコペンハーゲンUEFAヨーロッパリーグではバレンシアなどの強豪チームとの対戦も経験した。これらの活躍によりスタバエクへの完全移籍は確実と思われたが、スタバエクの財政難に加え小林の年俸が高額なため[要出典]これを断念した。

2010年1月27日ギリシャ・スーパーリーグイラクリス・テッサロニキFCへの移籍が決まった。これは移籍金の発生しない自由移籍で契約期間は18ヶ月間。2011年の夏までとなっている。同年2月14日のパニオニオス戦に89分から出場しリーグ戦初出場を果たし、終盤にはウインガーとして定位置を確保した。

2011年清水エスパルスへ移籍。日本でのプレーは3年ぶりとなる。

清水では背番号10を託されるなど、主力として期待されていた。しかし、持病腰痛が思わしくなく、開幕から出遅れると復帰後も途中出場がほとんどであった。シーズン中盤さらに腰痛が悪化したため、腰痛の完治を目指し手術に踏み切る[6]。結果、残りのシーズンをリハビリに費やすこととなる。

2013年1月、メジャーリーグサッカーバンクーバー・ホワイトキャップスへ完全移籍[7]

バンクーバーでは30試合に出場し2得点を記録したが、契約更新には至らず2014年2月26日、ニューイングランド・レボリューションに加入した[8]

2014年はレギュラーとして活躍しており[注釈 2]、2014年12月7日に開催されたMLSカップ決勝戦では後半途中から交代出場した[注釈 3]

2018年はUSLプロフェッショナルリーグラスベガス・ライツFCでプレイ[9]。2019年から2021年までは、USLチャンピオンシップバーミングハム・リージョンFCでプレイした[10]

2022年に現役引退。 2023年にパリ・サンジェルマンアカデミーJAPANのテクニカルダイレクターに就任した[11]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001東京V28J150000050
20022116010281
2003171905020260
200482707450394
20053235111385
2006大宮33951204010
20072423110283
20083336110404
ノルウェー リーグ戦 リーグ杯ノルウェー杯 期間通算
2009スターベク10エリテセリエン29843113412
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯エラーダス杯 期間通算
2009-10イラクリス80スーパーリーグ80000080
2010-1160001070
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011清水10J11201000130
20121706210242
アメリカ リーグ戦 リーグ杯USオープン杯 期間通算
2013バンクーバー14MLS302-21323
2014ニューイングランド16340-20360
2015220-10230
2016271-10281
2017121-10131
2018ラスベガス44USL-
2019バーミングハム16-
2020-
2021-
通算日本J1 22318441014128129
ノルウェーエリテセリエン 29843113412
ギリシャスーパーリーグ 1400010150
アメリカMLS 1254-711325
アメリカUSL -
総通算 39130481323346246
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その他の公式戦

その他の国際公式戦

個人タイトル

  • 2004年 - 第84回天皇杯優勝
  • 2009年 - ノルウェー・スーパーカップ優勝

代表歴

出場大会など

  • 2002年 - アジアユース選手権
  • 2003年 - ワールドユース選手権

試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006)[1]
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
出場得点
200610
通算 10
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出場

さらに見る No., 開催日 ...
No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.2006年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場トリニダード・トバゴ

🇹🇹

○2-0イビチャ・オシムキリンチャレンジカップ
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その他

脚注

関連項目

外部リンク

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