小椋神社

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 滋賀県大津市仰木4丁目38-55
位置 北緯35度6分32.0秒 東経135度52分30.4秒 / 北緯35.108889度 東経135.875111度 / 35.108889; 135.875111座標: 北緯35度6分32.0秒 東経135度52分30.4秒 / 北緯35.108889度 東経135.875111度 / 35.108889; 135.875111
主祭神 闇淤加美神(闇龗神)
社格 式内社(小)
県社
小椋神社
小椋神社
中門
所在地 滋賀県大津市仰木4丁目38-55
位置 北緯35度6分32.0秒 東経135度52分30.4秒 / 北緯35.108889度 東経135.875111度 / 35.108889; 135.875111座標: 北緯35度6分32.0秒 東経135度52分30.4秒 / 北緯35.108889度 東経135.875111度 / 35.108889; 135.875111
主祭神 闇淤加美神(闇龗神)
社格 式内社(小)
県社
創建 伝・天安2年(858年
本殿の様式 一間社流造
別名 五社大権現(大明神)、田所神社
例祭 5月3日
地図
小椋神社の位置(滋賀県内)
小椋神社
小椋神社
テンプレートを表示

小椋神社(おぐらじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社式内社で、旧社格県社。小椋神社の他にも大宮神社、若宮神社、今宮神社、新宮神社の4社が祀られている。

歴史

社伝によれば、天安2年(858年)に文徳天皇の皇子・惟喬親王によって伊弉那美神を祀る大宮明神が当地に創祀されたのが当社の始まりであるという。翌貞観元年(859年)に源融によって宮川の上流に祀られていた闇淤加美神が現在地に遷され、新たな主祭神とされて当社は成立したという。闇淤加美神は、天智天皇6年(667年)に天皇大津京遷都したおりに、同行した加太夫(賀太夫、嘉太夫)仙人という行者によって大和国丹生川上神社から分霊が宮川の上流に勧請され、祀られていたものである[1]。旧社地には現在は奥宮である滝壺神社が祀られている(北緯35度06分21.9秒 東経135度51分13.1秒 / 北緯35.106083度 東経135.853639度 / 35.106083; 135.853639)。

貞観5年(863年)に従五位下の神階を贈られた[2]。その後、延喜2年(902年)に若宮山に鎮座していた若宮神社を当社境内に移している[1]

延喜8年(908年)には延喜式内社に制定される[1]

貞元2年(977年)には恵心僧都源信に帰依した源満仲摂津国多田からこの地に移り住み、約10年間滞在していたという[1]

建久元年(1190年)に日吉大社の摂社十禅師明神を祀って新宮神社、石居明神を祀って今宮神社を境内に創建し祀った。これにより、中世には五社明神とも呼ばれ、小椋神社とも称して信仰を集めた[1]

しかし、当社はいつ頃からか田所神社と呼ばれるようになった[1]

慶安2年(1649年)にこの地が後水尾天皇の第6皇女・賀子内親王の領地となると、当社は内親王より篤い信仰を受け一の鳥居や石橋等を寄進されている。その後、内親王は二条光平に嫁ぐが、それ以来当社は二条家からの篤い尊信を受けている[1]

1876年明治9年)村社に列せられ[1]1908年(明治41年)には神饌幣帛料供進社に指定された[2]

太平洋戦争中の1945年昭和20年)に小椋神社の名に戻すとともに、県社へ昇格した[3][1]

境内

  • 本殿
  • 中門
  • 公文所
  • 神饌所
  • 拝殿
  • 神輿蔵
  • 庭園「神苑」
  • 収蔵庫
  • 社務所

摂末社

文化財

重要美術品

大津市指定無形民俗文化財

  • 仰木太鼓 - 所有者は仰木太鼓保存会。

祭事

  • 例祭 - 5月2日(宵宮)、5月3日(本祭)
    • 仰木祭りと称される。また、例年雨天が多く神輿の通った後が泥田のようになったため、泥田祭とも呼ばれる。平安時代後期に仰木に移り住んだという清和源氏の2代目・源満仲を偲ぶ古式行事が行われ、流鏑馬、5社の神輿の巡幸が行われる。大津市指定無形民俗文化財に指定されている仰木太鼓が響き渡る[4]

所在地

  • 滋賀県大津市仰木4丁目38-55

アクセス

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI