小沼通二
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1931年、東京府(現杉並区)生まれ。東京大学理学部物理学科を卒業し、1958年に学位論文"On the conservation of the lepton number"を提出して理学博士号を取得し[1]、卒業した。
卒業後は東京大学理学部の助手となった。後に京都大学基礎物理学研究所助教授に転じた。1983年に慶應義塾大学経済学部教授となった。1996年に慶應義塾大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は武蔵工業大学教授として教鞭をとった[2]。学界では、日本物理学会会長、アジア太平洋物理学会連合会長を務めた。
日本学術会議の会員ではなかったが、日本学術会議原子核特別委員会委員長を務めた[3]。日本初の原子力発電所の導入をめぐって安全性の問題などを指摘し、政府を批判した[4]。また世界平和アピール七人委員会委員。