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パグウォッシュ会議

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パグウォッシュ会議(パグウォッシュかいぎ、Pugwash Conferences)、正式には科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(かがくとせかいのしょもんだいにかんするパグウォッシュかいぎ、Pugwash Conferences on Science and World Affairs)は、全ての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議である。「2007年-2012年」期の会長は、スリランカの外交官ジャヤンタ・ダナパラ。

概要 ノーベル賞受賞者 ...
ノーベル賞受賞者 

受賞年: 1995年
受賞部門: ノーベル平和賞
受賞理由: 『国際政治における当面の核兵器の削減と、長期的な核廃絶のための努力に対して』
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バートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインによるラッセル=アインシュタイン宣言での呼びかけを受け、11人の著名な科学者によって創設された。

フセイン・アル・シャフリスターニ(2009年撮影)

2024年、それまで7年間会長を務めたセルジオ・デ・ケイロス・ドゥアルテ(英語版)の退任に伴い、フセイン・アル・シャフリスターニ(英語版)が会長(President)に就任した[1][注釈 1]。

来歴

1957年7月7日、カナダ・ノバスコシア州パグウォッシュにある鉄道王サイラス・スティーブン・イートン(英語版)の別荘に、湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄、マックス・ボルン、フレデリック・ジョリオ=キュリーら10カ国22人の科学者たちが集まって第1回の会議が開かれた。会議においてはすべての核兵器は絶対悪であるとされた。

しかし第2回会議以降、核兵器に対する評価は変化し、核兵器廃絶を訴えるラッセルらと、核兵器との共生を求めるレオ・シラードらとの対立が鮮明化し始めた(シラードは核抑止論側に立った)。核抑止論が会議に定着し始め、1964年第12回会議において、最小限抑止の原則は全面軍縮に至る最も有用な道であるとされた。[要出典]

1958年9月20日、ウィーンで開かれた第3回パグウォッシュ会議で、ウィーン宣言が採択された。

1961年のソ連の水爆実験再開に抗議する湯川・朝永・坂田声明は、署名者の一人だったジョセフ・ロートブラットによって握りつぶされた。 これらを契機に1962年5月7日、日本版のパグウォッシュ会議ともいえる科学者京都会議が湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一が中心になり開催された[3][4]。

1975年、湯川は第25回パグウォッシュシンポジウム「完全核軍縮の新構想」を主催した。湯川は、核兵器によって安全を守ろうという考えがいかに間違っているかを訴えた。そして、最終の目標はすべての国の安全がそれぞれの国の軍備を必要とすることなしに保障されるような、世界システムを樹立することであると述べた[5]。

1981年6月に京都で第4回科学者京都会議が開催された[5]。

1990年第40回会議(ロンドン)は日本船舶振興会、創価学会の寄付を受けた[要出典]。後に明らかになったことであるが、ソビエトは欧米の反戦運動に工作員を送り込んでおり、パグウォッシュ会議においてもソ連に関する批判は抑制あるいは握りつぶされるとともにアメリカおよび西側の批判が拡張されるという事態になっていた[6]。アメリカにおけるソビエト誘導の反戦活動の拠点となっていたのは米国平和委員会(US Peace Council)であり、アメリカ議会の諜報委員会においてこの組織と関係の深かった組織としてパグウォッシュ会議の名前が挙げられている[7]。

1995年にはノーベル平和賞を受賞している。1995年の広島における会議は原発関係者の大口寄付を受けた[要出典]。

2024年10月1日の朝日新聞によれば、パグウォッシュ会議の第63回世界大会が、2025年11月1~5日に広島市で開かれる。日本開催は4回目で、広島開催は20年ぶり。共催する日本パグウォッシュ会議によると、約40カ国約200人の参加を見込む。講演や討論、被爆者らとの対話などを想定し、「広島宣言」として提言の取りまとめをめざす。一部は一般公開する[8]。

カレン・ホールバーグ(Karen Hallberg) 2019年撮影。

2025年、パグウォッシュ会議の事務総長(Secretary General)にアルゼンチンのバルセイロ研究所(英語版)の女性物理学教授であるカレン・ホールバーグ(英語版) [9]が選出された[10]。彼女は、アルゼンチンの国立原子力機関および国立研究評議会のバリローチェ原子力センター(英語版)の主任研究員でもある。

第63回 パグウォッシュ会議

第63回「パグウォッシュ会議」が広島市にある広島国際会議場で2025年11月1日から11月5日まで開催される。テーマは「被爆80年-核なき世界と戦争の廃絶をめざして」である[11]。日本では4回目となる世界大会である。そこでの「広島宣言」では、日本国憲法第九条が「1955年のラッセル=アインシュタイン宣言が訴えた『戦争そのものの廃絶』に繋がるものだ。」として言及された。[12]

日本開催の第1回目は、1995年7月23~29日 第45回パグウォッシュ会議である。広島国際会議場にて開催された[13]。

日本開催の第2回目は、2005年7月23~27日 第55回パグウォッシュ会議年次大会である。「ヒロシマ・ナガサキから60年」として広島国際会議場にて開催された[14]。

日本開催の第3回目は、2015年11月1~5日 第61回パグウォッシュ会議世界大会である。「Nagasaki’s Voice: Remember Your Humanity」として長崎市やすらぎ伊王島にて開催された[15]。「ノーベル平和賞」レプリカメダルを長崎市、広島市に寄贈した[16]。

2025年2月、「パグウォッシュ会議」の執行委員会委員長に、長崎大学 核兵器廃絶研究センター(RECNA)[注釈 2]教授の鈴木達治郎(73)が就任したことが公表された[18]。

過去の会議

初期のころのパグウォッシュ会議の開催地と会期は以下のようである。

さらに見る 開催地, 会期 ...
開催地会期
第1回 カナダ、ノバ・スコシア州パグウォッシュ 1957年7月7–10日
第2回 カナダ、ケベック州ラック=ボーポール (Lac-Beauport) 1958年3月31日–4月11日
第3回 オーストリア、キッツビュールおよびウィーン 1958年9月14–20日
第4回 オーストリア、バーデン 1959年6月25日–7月4日
第5回 カナダ、ノバ・スコシア州パグウォッシュ 1959年8月24–29日
第6回 ソ連、モスクワ 1960年11月27日–12月5日
第7回 アメリカ、ヴァーモント州ストウ (Stowe) 1961年9月5–9日
第8回 アメリカ、ヴァーモント州ストウ 1961年9月11–16日
第9回 イギリス、ケンブリッジ 1962年8月25–30日
第10回 イギリス、ロンドン 1962年9月3–7日
第11回 ユーゴスラビア、ドゥブロヴニク 1963年9月20–25日
第12回 インド、ウダイプル 1964年1月27日–2月1日
第13回 チェコスロヴァキア、カルロヴィ・ヴァリ 1964年9月13–19日
第14回 イタリア、ヴェネツィア 1965年4月11–16日
第15回 エチオピア、アディス・アベバ 1965年12月29日–1966年1月3日
第16回 ポーランド、ソポト 1966年9月11–16日
第17回 スウェーデン、ロンネビュー (Ronneby) 1967年9月3–8日
第18回 フランス、ニース 1968年9月11–16日
第19回 ソ連、ソチ 1969年10月22–27日
第20回 アメリカ、ウィスコンシン州フォンタナ (Fontana) 1970年9月9–15日
第21回 ルーマニア、シナヤ 1971年8月26–31日
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脚注

関連項目

外部リンク

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