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小溝高夫

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生誕 (1961-10-13) 1961年10月13日(63歳)
身長 191 cm (6 ft 3 in)
体重 103 kg (227 lb)
国籍 日本の旗 日本
小溝 高夫
Takao KOMIZO
基本情報
生誕 (1961-10-13) 1961年10月13日(63歳)
身長 191 cm (6 ft 3 in)
体重 103 kg (227 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
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小溝 高夫(こみぞ たかお、1961年10月13日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。

九州樹脂工業[1]所属[2]。

修徳高校卒業[2] [3]。

18歳からゴルフを始め[3]、習志野カントリークラブに研修生として入社[4]。23歳でプロテストに合格し、30歳で尾崎将司率いるジャンボ軍団の門を叩く[3]。師匠の尾崎将を意識して髪形は襟足を伸ばし、兄弟子の飯合肇が1994年のマスターズに出場した際にはバッグを担いだ[3]。

1992年の茨城オープンで加藤仁・岩下・大井手哲・芹澤大介・森茂則に次ぐと同時に江本光・小泉清一・町野治・高野勇一・渡辺由己と並んでの6位タイ、1996年の水戸グリーンオープンで芹澤・中尾豊健に次ぐと同時に平石武則・佐々木均と並んでの3位タイ[5]に入り、1999年の東建コーポレーションカップ[6]を最後にレギュラーツアーから引退。

2005年には北見オープン・プロの部で最終日に67をマークして4位タイに入り、2006年の同大会プロの部では初日に67をマークし、宮本勝昌・藤田寛之・宮瀬博文に次ぐと同時に高見和宏と並んでの6位タイ[7]に入った。

191cmで100kgを超える巨漢で、真っ黒に日焼けした強面であるが、実際は、体育会系の礼儀正しさと、優しさを併せ持つ[8]性格である。

2014年のマイナビシニア&レディースカップでは2位に1打差の首位で出て、2アンダー70で回り、通算6アンダーに伸ばして逃げ切りで完全優勝を飾った[3]。大会8つのパー5で5バーディーを奪い、2位に1打リードで迎えた最終9番は、左がOBで目を瞑って打ったらど真ん中に飛び、フェアウエーから2mのバーディーチャンスにつけると、下りのフックラインを無理に狙わず確実に2パットでパーセーブ[3]。5度のガッツポーズで喜びを爆発させ、プロ生活30年目にして生涯最高の賞金200万円を獲得[3]。

2015年にはISPS・HANDA CUP・フィランスロピーシニアで初日に7バーディー、1ボギー[9]の6アンダー66をマークし、単独首位の好スタートを切る[10]。尾崎健夫に貰ったシャフトに替えたところ強烈に飛んで曲がらず[11]、7バーディーの猛攻でシニアツアーでの自己ベスト66をマーク[11]して首位に立つが、2日目には通算7アンダーの3位[12]となり、最終日も水巻善典らと並んでの3位タイ[13]にとどまった。

2016年の日本シニアオープンでは2日目に10、11番とスタートから立て続けに1m強のバーディチャンスにつけ、このパットをいずれも打ち切れずにショートさせるなど緊張から手が動かなかったが、7mの13番、下りのラインでそっと打ったのがうまく入った[8]。後半にターンしても1、2番とチャンスでファーストパットをショートさせたるなど緊張は続いたが、3番で2mをヒットできて決まり、ようやく落ち着けた[8]。続く4番でも4mを沈め、5番(パー3)は池を避けようと意識し過ぎてグリーンを外してボギーにしたが、続く6、7番と再び連続バーディを奪った[8]。最終9番(パー5)では、持ち前のロングドライブを生かしてショートカットの2オン狙いに行ったが、このドライバーショットは木に当たって3オンになり、3パットのボギー[8]。この日は首位と1打差の2位タイグループに入り[4] [8]、最終的には高見、バリー・レーン(イングランド)、倉本昌弘、フランキー・ミノザ(フィリピン)と並んでの9位タイ[14]に入った。

2019年のアサヒ緑健TVQシニアでは15番パー4で第2打を直接放り込むイーグルのほか4バーディー(3ボギー)を奪い、3アンダー、首位に2打差の5位で好発進した[15]。

主な優勝

脚注

外部リンク

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