小泉清一
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1987年にはペプシ宇部の初日を牧野裕、デビッド・イシイ(アメリカ)、上野忠美・山本己沙雄・須貝昇・鷹巣南雄・竹安孝博・石井昇と並んでの10位タイでスタートする[3]。続く三菱ギャランでは初日には岩下吉久・山本善隆・藤木三郎・佐野修一・鈴木弘一・並木弘道・安田春雄と並んでの9位タイ[4]でスタートし、2日目には堀内工・海老原清治と並んでの8位タイ[5]に着けた。
地元の栃木オープン[6]で植田浩史・水巻善典を抑えると同時に田中泰二郎・白山英明をプレーオフで下して優勝し[7]、NST新潟オープンでは初日を3アンダー68の10位タイ[8]でスタートする。
続く日経カップ 中村寅吉メモリアルでは初日を杉田勇・渡辺司・陳志明(中華民国)・秋富由利夫・入野太・倉本昌弘・出口栄太郎・海老原・川村正己・小林富士夫・須貝・飯合肇と共に2アンダー69の8位タイ[9]でスタートすると、2日目には川村と共に尾崎直道・友利勝良・水巻・湯原信光と並んでの6位タイ[10]に着けた。
1988年にはハワイパールオープンで田中文雄と並んでの5位タイ[11]に入り、帰国後のポカリスエットオープンでは3日目に64をマークして2日目45位タイから[12]小林・吉村金八・イシイ、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)と並んでの5位タイ[13]に浮上。
1988年の栃木オープンでは加藤仁・佐々木久行と並んでの5位タイ[14]に入り、1989年の関東オープンでは初日を須貝・米山剛・草壁政治・丸山智弘・横島由一と並んでの7位タイ[15]でスタートする。
1990年のポカリスエットオープンでは3日目に67をマークして2日目23位タイから[16]湯原・尾崎健夫・河村雅之・渡辺・川俣茂と並んでの9位タイ[17]、三菱ギャランでも3日目に2日目35位タイから[16]板井榮一、エドアルド・エレラ(コロンビア)、前田新作・甲斐俊光と並んでの8位タイ[18]に浮上。
1991年のフジサンケイクラシックでは初日を杉原輝雄・渡辺・稲垣太成・上野・白石達哉・鈴木豊・米山・天野勝・白浜育男・鈴木弘・羽川豊と並んでの8位タイ[19]でスタートし、1992年の茨城オープンでは加藤・岩下・大井手哲・芹澤大介・森茂則に次ぐと同時に江本光・町野治・高野勇一・小溝高夫・渡辺由己と並んでの6位タイ[20]に入った。
1995年のダイドードリンコ静岡オープンでは初日をバレント・フランクリン(カナダ)、エレラ・西川哲・川岸良兼・比嘉勉・丸山茂樹・鈴木弘・東聡・真板潔と並んでの4位タイ[21]、日経カップ中村寅吉メモリアルでは初日を田中秀道・金山和雄・宮瀬博文・謝錦昇(中華民国)・丸山茂・芹澤信雄・羽川・丸山・室田淳・加瀬秀樹と共に4アンダー68の10位タイ[22]でスタートした。
1995年のサンコーグランドサマーでは2日目に66をマークして初日39位タイから[23]重信、フランキー・ミノザ(フィリピン)と並んでの3位タイ[24]、最終日には68をマークして[23]比嘉・中村彰男と並んでの10位タイ[25]に入った。サントリーオープンでは初日をブラント・ジョーブ(アメリカ)、海老原・佐々木・溝口英二・佐藤信人と共に3アンダー69をマークして10位タイ[26]でスタートし、2日目にはブライアン・ワッツ(アメリカ)、ウェイン・グラディ(オーストラリア)、高野と並んで[27]2日連続の10位タイ[23]に着けた。
NST新潟オープンでは江本・河村雅之・桑原克典・佐々木と並んでの9位タイ[28]に入り、東海クラシックでは初日の16番でホールインワンを達成[29]。
1996年のPGAフィランソロピートーナメントでは初日を湯原・米山・ワッツ、トッド・ハミルトン(アメリカ)と共に3アンダー69の6位タイでスタートした[30]。
1999年にはNGAオープンで2位[31]に入り、関東オープンのマンデートーナメント・プロの部では8バーディー、ノーボギーの64という完璧な内容で首位通過[32]。
2001年のJCBクラシック仙台[33]を最後にレギュラーツアーから引退し、現在は「IGLスタジオ・渋谷」コーチ[34] [6]。
主な優勝
- 1987年 - 栃木オープン