小泉清一

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生誕 (1962-05-22) 1962年5月22日(63歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県
小泉 清一
Seiichi KOIZUMI
基本情報
生誕 (1962-05-22) 1962年5月22日(63歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県
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小泉 清一(こいずみ せいいち、1962年5月22日 - )は栃木県出身のプロゴルファー

沼澤聖一に師事し[1]1986年にプロ入りする[2]

1987年にはペプシ宇部の初日を牧野裕デビッド・イシイアメリカ)、上野忠美山本己沙雄須貝昇鷹巣南雄竹安孝博石井昇と並んでの10位タイでスタートする[3]。続く三菱ギャランでは初日には岩下吉久山本善隆藤木三郎佐野修一鈴木弘一並木弘道安田春雄と並んでの9位タイ[4]でスタートし、2日目には堀内工海老原清治と並んでの8位タイ[5]に着けた。

地元の栃木オープン[6]植田浩史水巻善典を抑えると同時に田中泰二郎・白山英明をプレーオフで下して優勝し[7]NST新潟オープンでは初日を3アンダー68の10位タイ[8]でスタートする。

続く日経カップ 中村寅吉メモリアルでは初日を杉田勇渡辺司陳志明中華民国)・秋富由利夫入野太倉本昌弘出口栄太郎・海老原・川村正己小林富士夫・須貝・飯合肇と共に2アンダー69の8位タイ[9]でスタートすると、2日目には川村と共に尾崎直道友利勝良・水巻・湯原信光と並んでの6位タイ[10]に着けた。

1988年にはハワイパールオープン田中文雄と並んでの5位タイ[11]に入り、帰国後のポカリスエットオープンでは3日目に64をマークして2日目45位タイから[12]小林・吉村金八・イシイ、ブライアン・ジョーンズオーストラリア)と並んでの5位タイ[13]に浮上。

1988年の栃木オープンでは加藤仁佐々木久行と並んでの5位タイ[14]に入り、1989年関東オープンでは初日を須貝・米山剛草壁政治丸山智弘横島由一と並んでの7位タイ[15]でスタートする。

1990年のポカリスエットオープンでは3日目に67をマークして2日目23位タイから[16]湯原・尾崎健夫河村雅之・渡辺・川俣茂と並んでの9位タイ[17]、三菱ギャランでも3日目に2日目35位タイから[16]板井榮一エドアルド・エレラコロンビア)、前田新作甲斐俊光と並んでの8位タイ[18]に浮上。

1991年フジサンケイクラシックでは初日を杉原輝雄・渡辺・稲垣太成・上野・白石達哉鈴木豊・米山・天野勝白浜育男・鈴木弘・羽川豊と並んでの8位タイ[19]でスタートし、1992年茨城オープンでは加藤・岩下・大井手哲芹澤大介森茂則に次ぐと同時に江本光町野治高野勇一小溝高夫渡辺由己と並んでの6位タイ[20]に入った。

1995年ダイドードリンコ静岡オープンでは初日をバレント・フランクリンカナダ)、エレラ・西川哲川岸良兼比嘉勉丸山茂樹・鈴木弘・東聡真板潔と並んでの4位タイ[21]、日経カップ中村寅吉メモリアルでは初日を田中秀道金山和雄宮瀬博文謝錦昇(中華民国)・丸山茂・芹澤信雄・羽川・丸山・室田淳加瀬秀樹と共に4アンダー68の10位タイ[22]でスタートした。

1995年のサンコーグランドサマーでは2日目に66をマークして初日39位タイから[23]重信、フランキー・ミノザフィリピン)と並んでの3位タイ[24]、最終日には68をマークして[23]比嘉・中村彰男と並んでの10位タイ[25]に入った。サントリーオープンでは初日をブラント・ジョーブ(アメリカ)、海老原・佐々木・溝口英二佐藤信人と共に3アンダー69をマークして10位タイ[26]でスタートし、2日目にはブライアン・ワッツ(アメリカ)、ウェイン・グラディ(オーストラリア)、高野と並んで[27]2日連続の10位タイ[23]に着けた。

NST新潟オープンでは江本・河村雅之桑原克典・佐々木と並んでの9位タイ[28]に入り、東海クラシックでは初日の16番でホールインワンを達成[29]

1996年PGAフィランソロピートーナメントでは初日を湯原・米山・ワッツ、トッド・ハミルトン(アメリカ)と共に3アンダー69の6位タイでスタートした[30]

1999年にはNGAオープンで2位[31]に入り、関東オープンのマンデートーナメント・プロの部では8バーディー、ノーボギーの64という完璧な内容で首位通過[32]

2001年JCBクラシック仙台[33]を最後にレギュラーツアーから引退し、現在は「IGLスタジオ・渋谷」コーチ[34] [6]

主な優勝

  • 1987年 - 栃木オープン

著書

脚注

外部リンク

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