江本光
日本のプロゴルファー (1954-)
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来歴
1982年にプロ入りし[1]、青木功や海老原清治を師に持つ[2]。
1985年の茨城オープンでは最終日に65をマークし、中川泰一・岩下吉久に次ぐと同時に東聡・高橋勝成を抑えて3位[3]に入った。
1986年の大京オープンでは初日を新井規矩雄・新関善美・飯合肇・山本善隆・海老原・河野和重・青木基正・中村忠夫と並んでの4位タイ[4]でスタートし、2日目には1イーグル、4バーディー、1ボギーの66マークし通算8アンダー134で単独首位に立った[5]。3日目には5アンダーで海老原と共に3位タイ[6]に着け、最終日には75と崩れて15位タイ[7]に終わった。
1988年の第一不動産カップでは初日を佐野修一・藤木三郎・謝敏男(中華民国)と共に2アンダー69の6位タイ[8]でスタートし、2日目には謝敏・藤木と共に磯崎功・磯村芳幸・尾崎直道・中村忠・田中泰二郎と並んでの10位タイ[9]に着け、3日目には尾崎直と共に67をマークして3位タイ[10]に浮上すると、最終日には佐野・羽川豊・川俣茂と並んでの5位タイ[11]に入った。
1989年のブリヂストンオープンでは青木・金子柱憲と並んでの9位タイ[12]に入り、泉川ピートとペアを組んだアコムダブルスでは好天に恵まれた初日に65をマークして5位タイ[13]でスタートし、3日目には62で安田春雄&森下正美ペアと並んでの5位タイ[14]に着け、最終日にはバリー・レーン&ピーター・ベイカー(イングランド)ペアと並んでの4位タイ[15]に入った。ミズノTOKYOオープンでは2日目に66をマークして首位に立ち[16]、最終日には72を叩き、中瀬芳治、この日66をマークした秋富由利夫に並ばれての2位タイ[17]に終わる。
1990年の山口オープンでは初日を池原厚・奥田靖己・杉田勇と共に67をマークして3位タイ[18]でスタートし、最終日には池原と共に宮田孝誠・塩田昌宏と並んでの5位タイ[19]に入った。
1991年にはペプシ宇部興産で陳志忠(中華民国)・藤木に次ぐ3位[20]に入り[21]、1992年の茨城オープンでは加藤仁・岩下・大井手哲・芹澤大介・森茂則に次ぐと同時に小泉清一・町野治・高野勇一・小溝高夫・渡辺由己と並んでの6位タイ[22]に入る。
1995年にはクレインカップ真庭オープン[23]で優勝し[1]、水戸グリーンオープンで佐野を抑えて田中秀道の3位[22]、NST新潟オープンでは小泉・河村雅之・桑原克典・佐々木久行と並んでの9位タイ[24]に入る。
1998年の宇部興産オープンでは初日に68をマークし[21]、1999年の同大会では現地ウエイティング(6番目[25])で欠場者枠が空くのを待ち[21]、開幕前日の昼に出場が決まった[25]。晴天ながら強風でスタートした初日に他の選手のスコアが伸びずにいる中、3、4、10、15番とチップインを決め、さらに4番ホールではディボットからの強めのボールがピンに当たってイン[25]。インスタートの10番ミドルの第3打をグリーン右のラフからピンまで15ヤードをサンドウェッジでチップインし、この他3ホールでチップインバーディを成功させ、15番ロングではグリーン右ラフに落ちたピンまで8ヤードの第4打を入れてバーディ[21]。折り返しの3番ショートではグリーンエッジの第2打をパターで沈めて3つ目を決め、最後は4番ロングで、ピンまで30ヤード地点のデイボットに嵌った球をピッチングで強めにショットし、派手にイーグルで決めた[21]。2ホール連続チップインの感触を大切にして5番ミドルでも、第3打を20cmにつけ、今にも入ってしまいそうなファインショットを披露[21]。上がりの8番は意識してボギーにしてしまったが、崔京周(大韓民国)・片山晋呉・金鐘徳(大韓民国)・東を抑えて[21]4アンダー[26]68[25]で首位発進[21]と一人飛び出した[25]。2日目には早々に崩れ、3オーバーで28位に後退[27]。
1999年の千葉オープンでは鈴木亨と共に初日は70で22位タイスタートであったが、最終日には68をマークし、坂本義一・今野康晴と並んでの7位タイ[28]に入った。
2002年のサントリーオープン[29]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の2009年にはハンダカップグローイングで優勝、ファンケルクラシックでは10位タイ[30]に入った。
主な優勝
- 1995年 - クレインカップ真庭オープン