小牧神明社
From Wikipedia, the free encyclopedia
『尾張名所図会』によれば、織田信長が小牧山城を築城しようと群臣に諮ったところ、その年は金神七殺にあたるとのことから、清須の御園神明[注釈 1]の祠官に神事を行わせた。その後、永禄6年(1563年)に築城するとともに小牧山の東の池へ神明社を勧請したという[1][2][3]。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には、小牧山に布陣した織田信雄と徳川家康が崇敬したという[4]。尾張藩初代藩主である徳川義直が参詣した際、牡丹の造花を下賜して、子供たちに歌舞させた[4]。その後、牡丹の造花を飾り付けた山車を建造し、現代まで続く神明祭の起源となった[4]。
江戸時代までは「駒来神社」と称したが、明治初年に「神明社」と改称[5]。また同5年(1873年)5月、近代社格制度において郷社に列した[2]。


