小田切春江

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小田切 春江(おだぎり しゅんこう、文化7年(1810年) - 明治21年(1888年10月19日[1])とは、江戸時代から明治時代にかけての名古屋浮世絵師画家

尾張藩藩士である小田切松三郎の長男[1]高力猿猴庵及び森高雅の門人[1]。名は忠近。俗称は伝之丞。春江、歌月庵喜笑と号す。作画は天保から明治にわたる。

天保9年(1838年)に家督を継いで藩の馬廻役、天保12年(1841年)に大番組となった。この年、名所図会制作のために尾張国内を歩いて回る。以降、幕末にいたるまで絵画地図版本などを旺盛に制作している。春江の絵は徹底して細密に描く点に特徴があった。元治元年(1864年)には書院番となる。

慶応元年(1865年)5月、藩命を受けて尾張の地誌『尾張志』附属の絵図の複本と『美濃志絵図』を製作[1]

明治に入って家督を子の春陵に譲った後、神職についた[1]。また、明治13年(1880年)には名古屋博物館付属員となって工芸、意匠方面における指導的立場にたち、翌明治14年(1881年)、奈良東大寺の古器物及び古模様などを臨模、工芸界の人々に参考として提供、工芸デザイン面や地図、名所図会の方面に多大の貢献をする。門人に実子の小田切春陵がいる。名古屋区久屋町で没す。享年79。墓所は千種区平和公園の高岳院墓地。法名は唯称院清誉春江。

作品

脚注

参考文献

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