山口家 (安倍氏) From Wikipedia, the free encyclopedia 本姓 安倍氏家祖 山口盛厚種別 皇別出身地 山城国京都山口家 本姓 安倍氏家祖 山口盛厚種別 皇別出身地 山城国京都主な根拠地 山城国京都凡例 / Category:日本の氏族 山口家(やまぐちけ)は、安倍氏をルーツにもつ一族。安土桃山時代から江戸時代にかけて代々右大史を務めた[1]。 山口家の祖は山口盛厚。叙位年月に関する記録は焼失しているものの、天正16年(1588年)2月11日に右大史・東市正に任じられている[1]。 盛厚の子は山口盛勝。盛勝は、永禄10年(1567年)に生まれ、天正3年(1575年)3月21日に正六位上に叙せられ、同年10月28日に権少外記を兼ねて右少史に任じられ、慶長6年(1601年)3月22日に少外記に転じ、慶長7年(1602年)12月6日に少内記を兼任、慶長18年(1613年)11月19日に左少史、慶長19年(1614年)10月2日に右大史に転じたのち、元和6年(1620年)6月2日には院主興代に補され、寛永元年(1624年)12月25日の記録を経て、寛永9年(1632年)1月10日に東市正を兼ねて同日にも66歳で従五位下に叙せられた。親族については、弟の英芳が三善家を相続し、孫の亮之が宗岡姓山口家を相続し官召使となった。寛永18年(1641年)5月18日に75歳で死去した[1]。 盛勝からは 山口亮守(壬生孝亮の偏諱を賜る) 山口亮昌(実は右史生・宗岡孝昌の末子で亮守の養子となった。延宝7年(1679年)には山口友昌を一度亮昌の猶子とし、その後山口少外記定友の跡を相続させた) 山口亮仲(母は祇園社家東梅坊の娘) 山口亮茂(実は山口右史生紀章純(章昌)の兄で、永井直清家臣の関源大夫勝貞の末子で亮仲の養子となった) 山口盛行(実は下鴨神社社家・御矢川若狭守の末子で亮茂の養子となった。また次男の春昌は山口春清の養子となり家督を相続した) 山口盛孝(母は亮仲の子) 山口盛親(実は仏光寺院家中坊久遠院権律師玄照の末子) 山口盛明(実は鳥取藩士・山岡志津摩の次男) 山口盛尚(実は盛行の三男) と続いた[1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 1 2 3 4 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)』(日本古典全集刊行会、1937年) Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks