山崎充
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 生誕 |
1934年1月 |
|---|---|
| 死没 | 1993年9月 |
| 研究機関 |
静岡銀行 静岡経済研究所 地域経済研究所 専修大学北海道短期大学 東海大学 静岡県立大学 |
| 研究分野 | 地域経済学 |
| 母校 |
東京経済大学 経済学部卒業 |
| 影響を 受けた人物 | 篠原三代平 |
| 実績 | 地場産業の研究 |
| 受賞 |
日経・経済図書文化賞 中小企業研究奨励賞 |
山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - 1993年〈平成5年〉9月)は、日本の経済学者(地域経済学)。
株式会社静岡銀行での勤務を経て、財団法人静岡経済研究所研究部部長、株式会社地域経済研究所代表、専修大学北海道短期大学経済科教授、東海大学沼津教養部教授、静岡県立大学経営情報学部教授などを歴任した。
来歴
生い立ち
1934年(昭和9年)1月に静岡県に生まれた[1]。出生地はのちの富士市に該当する地域であった[1]。太平洋戦争後、静岡県立富士高等学校を経て[4]、東京経済大学に進学し[1]、経済学部で学んだ[1]。1956年(昭和31年)3月に東京経済大学を卒業し[1]、経済学士の称号を取得した[† 1]。
実業界にて
静岡銀行に採用され[1]、1956年(昭和31年)4月に入行した[1]。静岡銀行が設立したシンクタンクである静岡経済研究所に1963年(昭和38年)2月に出向することになった[1]。1974年(昭和49年)4月には静岡経済研究所にて研究部の部長に就任した[1]。なお、静岡経済研究所での勤務の傍ら、公職も兼任していた[1]。中央省庁においては、通商産業省にて1981年(昭和56年)4月よりテクノポリス研究委員を兼任した[1]。1982年(昭和57年)7月に静岡経済研究所の役職を退くとともに静岡銀行を退職した[1]。
静岡銀行を退職してからは、地域経済研究所を設立して活動する[1]。以降、NHK教育の『ビジネスネットワーク』のリポーターをはじめ[5]、多くの新聞、ラジオ、テレビ等のマスメディアにおいても活動する[2]。SBSの『経営茶房』ではホスト役を務めており[6]、さまざまな企業の経営者を招いて対談に臨むなど[6]、お茶の間での知名度を高めた。
学界にて
専修大学北海道短期大学に採用され[1]、1983年(昭和58年)4月に経済科の教授として着任した[1]。経済科においては経済政策を講じていた[1]。なお、専修大学北海道短期大学での勤務の傍ら、他の教育・研究機関の役職も兼任していた[1]。静岡総合研究機構においては1984年(昭和59年)10月より理事を兼任していた[1][† 2]。また、他にも公職を兼任していた[1]。地方公共団体においては、1984年(昭和59年)4月より静岡市消費者問題審議会の委員を兼任していた[1]。1985年(昭和60年)3月に専修大学北海道短期大学を退職した[1]。
その後、東海大学に採用されることになり[1]、1985年(昭和60年)4月に沼津教養部の教授として着任した[1]。東海大学においては経済学を講じていた[1]。なお、東海大学での勤務の傍ら、公職も兼任していた[1]。中央省庁においては、通商産業省にて1985年(昭和60年)10月より伝統工芸品産業審議会の専門委員を務めた[1]。地方公共団体においては、1985年(昭和60年)4月より静岡県総合計画審議会の委員を兼任するとともに[1]、同年4月より静岡県地場産業振興対策会議の委員を兼任していた[1]。
また、静岡薬科大学、静岡女子大学、静岡女子短期大学を統合した新大学が発足することになり、林周二に要請され[7]、経営情報学部の創設準備に携わるようになる。1987年(昭和62年)に静岡県立大学が開学すると、同年4月に経営情報学部の教授に着任した[1]。経営情報学部においては主として経営情報学科の講義を担当し、企業論[1]、中小企業論[1]、地域経済論を講じていた[1]。静岡県立大学の教授として在職中のまま、1993年(平成5年)9月に死去した[1]。
研究
専門は経済学であり、特に地域経済学といった分野の研究に従事していた[8]。特に地場産業の研究が広く知られている[2]。経営学者の清成忠男は、静岡経済研究所を起ち上げて軌道に乗せたことと[9]、フィールドワークを主体とした研究成果を[9]、山崎の二大業績として挙げている[9]。静岡経済研究所は地方銀行によって設立されたシンクタンクの嚆矢であるが[9]、清成はこの研究所が山崎の手腕と個人的な人脈によって支えられており[9]、その成功は「その後の地方銀行の研究所の垂範モデルになった」[9]と指摘している。また、清成は、山崎の研究の特徴について「実証研究に終始した」[9]「フィールドワークによって事実認識を深める」[9]「主として調査対象を地場産業にしぼった」[9]の3つを挙げている。
ダイヤモンド社から上梓した『日本の地場産業』は高く評価され、1977年(昭和52年)11月に日経・経済図書文化賞が授与されている[1]。さらに同年12月には中小企業研究奨励賞が授与されている[1]。なお、同書において、山崎は地場産業の定義について論じている。そのなかで、山崎は地場産業の特性として「特定の地域に起こった時期が古く、伝統のある産地」[10]「特定の地域に同一業種の中小零細企業が地域的企業集団を形成して集中立地している」[10]「生産、販売構造がいわゆる社会的分業体制を特徴としている」[11]「ほかの地域ではあまり産出しない、その地域独自の『特産品』を生産している」[12]「市場を広く全国や海外に求めて製品を販売している」[12]の5つを挙げており、これは地場産業の研究においてよく引かれる定義となっている。一方で、経済学者の板倉勝高はこの定義に疑問を呈しており、特に「特定の地域に起こった時期が古く、伝統のある産地」[10]との条件については、新しく起こった地場産業もあると指摘している[13]。ただし、山崎は、あくまで地場産業はこれらの特性を持っていることが多いと述べているにすぎず[12]、この5つが地場産業の必須条件であるとはしていない[12]。
学術団体としては、1981年(昭和56年)4月から日本中小企業学会[1]、同年4月から日本計画行政学会[1]、1982年(昭和57年)4月から日本経済政策学会[1]、1985年(昭和60年)10月から都市情報学会に所属していた[1]。
人物
- 学習法
- 経済学者の篠原三代平の著作を徹底的に読み込み[7]、その研究手法を学んだという。具体的には、調査のやり方、データの集め方、文章の書き方などを篠原の著作から身に着けたという[7]。
- 郷土愛
- 出身地である静岡県に関する著述活動も多く、その産業構造や県民性などを論じた著作も上梓している[14][15]。静岡県の県民性について「余りにも交通や情報や自然に恵まれていて、いわば小金持の安心感や、いつでも時代についていけるという錯覚がある」[16]とも指摘している。また、1980年代の時点で静岡県における空港の必要性を主張していた[16]。
- 趣味嗜好
- プロ野球では読売巨人軍の長嶋茂雄のファンであった[6]。
- 人物評
- 静岡県立大学の経営情報学部には創設準備から携わり、発足とともに教授に就任しているが[1]、これは初代学部長に内定した商学者の林周二の強い要請に基づくものである。学部の創設にあたって、林はまっさきに山崎の獲得に動いている[7]。林は「静岡県には地元出身の山崎がいる。山崎が取れなかったら、学部長は辞退するつもりだった」[7]と回顧するほど、山崎を高く評価していた。
- また、数学者の中村義作は、山崎について「初代の林学部長の強力なブレイン」[8]と評するとともに、山崎の講義について「理論と実証に裏付けられた明快な話振り」[8]と評していた。
- 展示物
- 静岡銀行史料室には「第47回静岡銀行七福定期抽選会台本」[17]が展示されていたが、その展示されていた実施計画書に当時入行一年目であった山崎の名も掲載されていた[17]。ただし、山崎が著名になったため敢えて展示していたわけではなく[17]、偶然である[17]。
略歴
- 1934年 - 静岡県に誕生[1]。
- 1956年 - 東京経済大学経済学部卒業[1]。
- 1956年 - 静岡銀行入行[1]。
- 1963年 - 静岡経済研究所出向[1]。
- 1974年 - 静岡経済研究所研究部部長[1]。
- 1981年 - 通商産業省テクノポリス研究委員[1]。
- 1982年 - 静岡銀行退職[1]。
- 1983年 - 専修大学北海道短期大学経済科教授[1]。
- 1984年 - 静岡市消費者問題審議会委員[1]。
- 1984年 - 静岡総合研究機構理事[1]。
- 1985年 - 専修大学北海道短期大学退職[1]。
- 1985年 - 東海大学沼津教養部教授[1]。
- 1985年 - 静岡県総合計画審議会委員[1]。
- 1985年 - 静岡県地場産業振興対策会議委員[1]。
- 1985年 - 通商産業省伝統工芸品産業審議会専門委員[1]。
- 1987年 - 静岡県立大学経営情報学部教授[1]。
- 1993年 - 死去[1]。
賞歴
- 1977年 - 日経・経済図書文化賞[1][18]。
- 1977年 - 中小企業研究奨励賞[1]。
著作
単著
- 山崎充著『変わる地場産業――“日本らしさ”は生き残れるか』日本経済新聞社、1974年。全国書誌番号:70005427
- 山崎充著『日本の地場産業』ダイヤモンド社、1977年。全国書誌番号:77023565
- 山崎充著『闘え!! 中小企業――主役交替時代に生き残る条件』リサーチ出版、1977年。全国書誌番号:77021295
- 山崎充著『異色No.1企業への道――80年代に飛躍する10のノウハウ』ダイヤモンド社、1980年。全国書誌番号:80019335
- Mitsuru Yamazaki, Japan's community-based industries -- a case study of small industry, Asian Productivity Organization, 1980. 全国書誌番号:20962626
- 山崎充著『地場産業都市構想――地域と産業の革新を求めて』日本経済評論社、1981年。全国書誌番号:81047797
- Mitsuru Yamazaki, Innovations in Japan's community-based industries -- a case study, Asian Productivity Organization, 1981. ISBN 928331705X
- 山崎充著『縄のれんの経済学』日本経済評論社、1983年。全国書誌番号:83052085
- 山崎充著『地域産業の読み方――独自性の発揮と発展の条件』PHP研究所、1984年。ISBN 4569213979
- 山崎充著『地域経済活性化の道』有斐閣、1984年。ISBN 4641024332
- 山崎充著『地域産業の見なおし――21世紀への処方箋』中央経済社、1987年。ISBN 4481533110
- 山崎充著『甦えるか! 地域経済』ぎょうせい、1987年。ISBN 4324007837
- 山崎充著『時代を読む経営』日本経済評論社、1988年。ISBN 4818802239
- 山崎充著『甦えるか! 地域経済――地場産業再生への処方箋』ぎょうせい、1988年。ISBN 4324014426
- 山崎充著『〈豊かな地方づくり〉を目指して』中央公論社、1991年。ISBN 4121010175
- 山崎充著『中堅企業の経営革新21の選択』日本実業出版社、1991年。ISBN 4534017898
共著
- 杉岡碩夫・秋谷重男・山崎充著『物価高の〈悪役〉たち――生鮮食品を安くする方法』毎日新聞社、1972年。全国書誌番号:70017164
- 矢野誠也・山崎充著『消費者貧乏の追跡――日本人の欲求不満はどこから来るか』東洋経済新報社、1972年。全国書誌番号:71005832
- 山崎充・日刊工業新聞川口支局著『新・地域産業づくり――企業家精神で支える地場産業』日刊工業新聞社、1986年。ISBN 4526021253
- 山崎充ほか著『静岡県の産業経済――その現状と課題』静岡新聞社、1988年。ISBN 4783813205
- 山崎充・小島茂共著『静岡三都論』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783812187
編纂
- 清成忠男・山崎充・高野邦彦編著『中小企業・円切上げ経営対策』ダイヤモンド社、1971年。全国書誌番号:70001414
- 山崎充・小池洋一編『地域経済の国際化』アジア経済研究所、1984年。ISBN 4258050660
分担執筆、寄稿、等
- 大来佐武郎・力石定一監修『図説“にっぽん”の経済』ダイヤモンド社、1972年。全国書誌番号:70011797
- 中村秀一郎・清成忠男・太田一郎編著『中小企業の知識集約化戦略』日本経営出版会、1973年。全国書誌番号:70016748
- 篠原三代平編集代表『現代経済問題の基礎知識――現実問題を通して応用能力を養う』有斐閣、1974年。全国書誌番号:70019278
- 日本コンサルタント・グループ編『中小企業経営者実務便覧』日本コンサルタント・グループ。1976年。NCID BN14123194
- 今井賢一・中村秀一郎編『日本の産業』4巻、筑摩書房、1980年。全国書誌番号:80024155
- NBR戦略研究グループ編『攻めと守りの事業推進戦略』日本ビジネスレポート、1981年。全国書誌番号:81032175
- 中村秀一郎ほか著『現代中小企業史』日本経済新聞社、1981年。全国書誌番号:81021324
- 国土庁計画・調整局編集『サービス経済化時代の地域戦略――21世紀への選択』ぎょうせい、1981年。NCID BN05444594
- キャノンOA推進室編『OA読本――人と機械の連携プレイ』有斐閣、1982年。ISBN 464102278X