山本登喜子

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死没 (1933-03-30) 1933年3月30日(72歳没)
大日本帝国の旗 日本東京都東京市芝区高輪台町32番地(現:東京都港区高輪
死因 胃癌
配偶者 山本権兵衛(夫)
やまもと ときこ
山本 登喜子
山本権兵衛と登喜子夫人(1880年)
生誕 津沢登喜子
1860年6月6日
万延元年4月17日
江戸幕府越後国蒲原郡菱潟村(現:新潟県新潟市南区菱潟)
死没 (1933-03-30) 1933年3月30日(72歳没)
大日本帝国の旗 日本東京都東京市芝区高輪台町32番地(現:東京都港区高輪
死因 胃癌
配偶者 山本権兵衛(夫)
子供 山本清(長男)
財部イネ(長女)
山路すゑ(次女)
山本ミね(三女)
上村なミ(四女)
松方登美(五女)
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山本 登喜子(やまもと ときこ、1860年6月6日[注釈 1]万延元年4月17日[1]〉- 1933年昭和8年〉3月30日)は、山本権兵衛日本海軍軍人で第16・22代内閣総理大臣を務めた)の

概要

山本権兵衛が結婚後に海軍省に提出した「縁組御届書」(明治11年9月13日付)によると、登喜子(とき)は新潟県蒲原郡菱潟村[注釈 2]の農業・津沢鹿助の三女[2]品川妓楼で遊女として働いたのち[3]明治11年(1878年)8月28日[2][注釈 3]、当時は海軍少尉だった権兵衛と結婚。

権兵衛の誓約書

権兵衛は、結婚の際に

〔第1条〕「一、礼儀を正ふし信義を重んじ質素を旨とすることを目的とすべき事」[6]
〔第2条〕「一、夫婦むつまじく生涯たがいにふわ〔不和〕を生ぜざる事」[6]
〔第3条〕「一、夫婦たるの義務をやぶるにあらざればいかなる事実あるも決して離縁を許すべからず」[6]
〔第4条〕「一、家事の整頓はすべて妻の責ににん〔任〕ず」[6]
〔第5条〕「一、一夫一婦は国法の定むる処なれば誓〔ちかひ〕て之に背〔そむか〕ざる事」[6]
〔第6条〕「一、家財は以〔もつて〕妻子を養育するの余沢なれば妻の外他より口を入るるを許さず」[6]
〔第7条〕「一、一家に属することはすべて妻の責にん〔任〕にまかす」[6]
※〔〕内は引用者が挿入。

の七か条から成る誓約書(明治11年8月15日付[5])を書いて、この後も終生変わることのなかった登喜子への愛情と敬意を示した。この誓約書は、登喜子の死後に、登喜子の遺品の中から発見された[6][注釈 4]。漢字には権兵衛の手で振り仮名が付されており、第2条の「生涯」に付された振り仮名は「いつまでも」であった[6]

権兵衛と登喜子の結婚は、当時(明治時代初期)には珍しい恋愛結婚であった[6]。権兵衛は「一夫一婦」の誓いを生涯に渡って守り、浮いた話は一切なかった[6]

権兵衛と登喜子の夫婦は6人の子供に恵まれた。長女・イネ(1879–1976)[6]海軍大臣を務めた財部彪 海軍大将に、次女・すゑ(1881–1978)[6]山路一善 海軍中将に、三女・ミね(1885–1959)[6]山本盛正川崎汽船川崎造船所重役)に、四女・なミ(1887–1945)[6]西郷従道の息子の上村従義 男爵に、五女・登美(1888–1962)[6]は首相松方正義の息子である乙彦(東京コークス販売社長)にそれぞれ嫁いだ。長男の(1883–1960)は海軍軍人(海兵34期、海軍中佐)。

軍艦「乾行」見学時の挿話

権兵衛が、海軍兵学校東京・築地[注釈 5])所属の運用術練習艦「乾行」乗組の海軍中尉であった1880年(明治13年)[注釈 6]、登喜子が「乾行」を見学に訪れた[9]。権兵衛は自ら艦内をくまなく案内し、登喜子が艦から降りる時には、先に桟橋に降りて登喜子の履物を揃えた[9]

男尊女卑の風潮が強い当時、海軍士官が自分の乗艦に妻を招くこと自体が稀であり、ましてや「妻の履物を揃える」など論外であり、権兵衛の振る舞いを見ていた者たちは口々に嘲笑したが、権兵衛は何ら動じることはなかった[9]

この一件は、直ちに兵学校生徒たちの広く知るところとなり、生徒たちの間では権兵衛の振る舞いについて賛否両論があった[9]。以上は、当時の兵学校生徒の一人である木村浩吉海兵9期・海軍少将)の1934年(昭和9年)における証言による[9]

永訣

登喜子は1933年(昭和8年)3月30日に胃癌によって72歳[5]で死去した[5]

登喜子の死の直前、登喜子の手を握った権兵衛は以下のように語りかけ、登喜子は落涙しながら権兵衛の手を握り返したという[5]

お互い苦労してきたが、俺としては今日まで何一つ曲がったことをした覚えはない。お前もその点、安心して逝ってくれ。いずれ俺も、あとを追ってゆくから。山本権兵衛[5]

権兵衛は、愛妻に遅れること8か月、昭和8年12月8日に摂護腺(前立腺)肥大症によって81歳[5]で死去した[5]

脚注

参考文献

山本登喜子を演じた女優

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