山本英臣

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愛称 オミ
カタカナ ヤマモト ヒデオミ
ラテン文字 YAMAMOTO Hideomi
国籍 日本の旗 日本
山本 英臣
名前
愛称 オミ
カタカナ ヤマモト ヒデオミ
ラテン文字 YAMAMOTO Hideomi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-06-26) 1980年6月26日(45歳)
出身地 千葉県市川市
身長 175cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
ポジション DF / MF
背番号 4
利き足 右足
ユース
1996-1998 ジェフユナイテッド市原
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002 ジェフユナイテッド市原 4 (0)
2003- ヴァンフォーレ甲府 587 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年12月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山本 英臣(やまもと ひでおみ、1980年6月26日 - )は、千葉県市川市出身のプロサッカー選手Jリーグヴァンフォーレ甲府所属。ポジションはディフェンダーミッドフィールダー

2002年にジェフユナイテッド市原・千葉を退団して、ヴァンフォーレ甲府一筋のバンディエラである。

ジェフユナイテッド市原

ジェフユナイテッド市原のジュニアユース、ユースを経て、1999年にトップチームに昇格。市原では主にカップ戦で出場機会を得ていたものの、4年間の在籍でリーグ戦4試合、ナビスコカップ6試合、天皇杯1試合の計11試合の出場にとどまった。2002シーズン限りで契約満了に伴い退団[1]

ヴァンフォーレ甲府

2003年ヴァンフォーレ甲府に加入[2]。当時の甲府は、前年の2002年にチーム史上初の最下位脱出を達成したものの未だに弱小クラブのイメージは強かった。そのような状況の甲府に加入した初年度は、5月5日の第10節モンテディオ山形戦でプロ初ゴールを記録すると、第11節のアビスパ福岡戦、第12節のサガン鳥栖戦と3試合連続でゴールを記録する。[要出典]しかしシーズン通して34試合に出場するも、先発出場は6試合にとどまり、レギュラーを奪うことは出来なかった。

2004年も開幕直後は途中出場が多くなったが、シーズン中盤以降先発出場の機会を得る。しかし8月1日大宮アルディージャ戦で骨折し途中交代すると、その後は戦列に戻ることなくシーズン終了。結局18試合の出場にとどまった。

2005年は前年の負傷の影響もあり出遅れ、6月18日ザスパ草津戦でようやく初出場。以降も途中出場が中心となりなかなか出場機会が訪れなかったが、第38節のサガン鳥栖戦で先発出場すると最終節まで7試合連続で先発出場。入れ替え戦も2試合ともフル出場を果たし[要出典]、J1昇格に向けた終盤の躍進に貢献した。

そのように要所で出場機会を得ながらもなかなか定位置を奪えずにいた山本であったが、チームがJ1に昇格した2006年は大きく存在感を高めた1年となった。山本とほぼ同時期に加入し、ディフェンスを支えていた青葉幸洋東京ヴェルディ1969に移籍、津田琢磨も前年終盤の負傷の影響で出遅れるといった状況の中、前年終盤に信頼を得た山本は左サイドバックのレギュラーに定着。出場停止の2試合を除く全32試合に先発出場し、チーム史上初のJ1残留に貢献した。なお、このころから無回転のフリーキックも習得し、セットプレーのキッカーも務めるようになった。[要出典]

この2006年のレギュラー奪取を境に山本の存在感は際立っていく。2年目のJ1となった2007年杉山新の負傷離脱により序盤は右サイドバック、杉山の復帰後は左サイドバックで出場[要出典]し、チームは降格するも自身は26試合に先発出場。J2に降格した2008年もチームに残留し、以降は出場停止、怪我を除いたほぼ全試合に出場。

2009年よりチームキャプテンに就任[3]2010年ダニエルとのセンターバックコンビで守備を支え、2006年以来となるJ1昇格に貢献。

2012年城福浩監督が就任すると、センターバックやボランチをチーム状況に応じて務め[要出典]、J2優勝の中心選手として活躍した。

2013年は開幕直前に負傷したが、第4節の川崎戦で途中出場し戦線復帰。第5節の大分トリニータ戦では先発復帰し、決勝点に繋がるインターセプトを見せ勝利に貢献。それまで勝利のなかった甲府にシーズン初勝利をもたらした。以降はボランチで出場し、シーズン中盤のシステム変更以降は3バックの中央で起用[要出典]され、J1残留に貢献した。

2014年は出場停止の1試合を除いた全33試合に出場。前年から引き続き3バックの中央で甲府の守備を統率[要出典]し、2年連続の残留に貢献した。また第21節のガンバ大阪戦でJ1初ゴールを記録するとその後もPK2得点を含む3得点を挙げた。[要出典]

2019年は小出悠太が新キャプテンに就任し、10年務めた正キャプテンの座から降りた[4]

2020年9月9日のV・ファーレン長崎戦でJ通算500試合出場を達成[5]

2022年の第102回天皇杯決勝で延長後半7分から出場するも3分後に自陣ペナルティーエルア内でハンドを取られ、PKを献上してしまう。「もうこのまま辞めようかな」と思うほどショックを受けたが、これを河田晃兵が止めてそのままPK戦に突入する。広島側が1本止められた状態での4-4の5人目として登場し、これを落ち着いて左側へ決めてチーム加入20年目で初のメジャータイトル獲得に貢献した[6]

2023年、天皇杯優勝により獲得したAFCチャンピオンズリーグにおいて、10月25日のグループリーグ第3節の浙江職業とのアウェイ戦の後半5分に途中出場し、43歳と4か月で自身初の国際大会出場を記録。

人物

3児の父である[7][8]

2025年11月、週間女性PRIMEによって山本の不倫疑惑が報じられた[9]。週間女性PRIMEの記事によると、山本は不倫相手女性とのLINEでのやり取りの中で、相手女性の入浴中の姿を覗きたいなどのメッセージを送っていたが、2025年7月には不倫相手の配偶者から慰謝料を請求されている[9]。不倫相手の配偶者の男性はヴァンフォーレ甲府のサポーターであったが、その後は離婚調停状態であるという[9]。週間女性PRIMEはヴァンフォーレ甲府に対しても事実確認の問い合わせを行ったが、チームから期日内までに回答は得られなかった[9]。11月18日にヴァンフォーレ甲府は公式ホームページ上で山本に対して事実確認を行った上で適切な対応に努めるというプレスリリースを出した[10]が、翌19日には山本から活動自粛の申し出があり、当日からチームでの活動を停止することとなった[11]。11月21日には、山本がクラブとチームの社会的信用を毀損した責任として減俸10%・2か月の処分を受けたと発表された[12][13]。この処分内容の発表のプレスリリースに付随した山本側のコメントによると、既にこの週刊誌での報道以前に相手の配偶者との間で合意により解決されていると述べている[12][13]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999市原28J100000000
20002700000000
20012040401090
200200200020
2003甲府4J2343-20363
2004181-00181
2005200-20220
2006J13204030390
20072908010380
2008J2390-20410
2009481-30511
2010282-10292
2011J13001010320
2012J2402-10412
2013J12901030330
20143334020393
20152802000300
20162411000251
20171400000140
2018J22102020250
2019161-10171
2020340--340
2021230-10240
2022140-30170
2023190-30220
20241400010150
202500101020
2026J2・J3--
通算日本J1 22342701102614
日本J2 368103023039410
日本J2・J3 --
総通算 5911430034065514
その他の公式戦出場
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2026甲府4J2・J3
通算日本J2.J3
総通算
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2023/24甲府410
通算AFC10
出場歴

タイトル

クラブ

ヴァンフォーレ甲府

脚注

関連項目

外部リンク

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