山西敏一
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指5本を立て「500万円や」
1947年(昭和22年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業し[2]、関西学院大学へ進み[3]、1952年法学部法律学科を卒業[4]。
1973年3月の柏原市長選で「全く門外漢と申しますのか、行政の素人」ながら立候補し初当選[5]して以降、連続当選。2001年(平成13年)2月11日に投開票の市長選で得票率57.88%(1万5,714票)で[6]8期目を務めたが、75歳になるのを機に健康上の理由と称して引退表明。後継を指名し2005年2月の市長選挙に出馬せず、任期満了で退任した。
しかし、同年6月9日に公職選挙法違反容疑で大阪府警察に逮捕。後継の人物が出馬した市長選挙で、対立候補の元市議岡本泰明に関する批判記事をミニコミ紙に書かせて報酬約100万円を渡した疑いだった[7][8]。
また、市長在任中の2004年4月に市のポンプ場の管理業務を巡り、入札の不要な随意契約で清掃業者が受注できるよう便宜を図り、市長退任後に業者から謝礼500万円を受け取った収賄疑いで、6月30日に再逮捕された[9]。
収賄の際、自ら指5本を立てて「これだけ出してくれへんか」と要求。贈賄の清掃業者から「50万円か?」と尋ねられると、はっきりとした口調で「500万円や」と述べ、ほかの業者にも「餞別という名目で現金を要求」「すべて受け取ったとすれば、数千万円」(市議)とされる[10]。