山野古墳
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鶴見区西部に広がる下末吉台地(標高40-50メートル)の、鶴見川南岸に面した台地北端部(地域名では鶴見区駒岡・梶山・三ツ池公園・上末吉・下末吉・諏訪坂にかけて)には、かつて複数の古墳群や横穴墓群が分布しており[1][2][3]、同区駒岡に集中域をもつ古墳群は「駒岡古墳群」と呼ばれている[4][注釈 1]。
1907年(明治40年)4月4日に駒岡北端の丘陵斜面で土取工事中に横穴墓が開口し、1908年(明治41年)10月9日に東京帝国大学の坪井正五郎が招聘され、横穴墓と山頂の古墳を発掘調査したことで、駒岡瓢箪山古墳や岩瀬山横穴墓群(お穴様)・駒岡堂の前古墳などが知られるようになった。
山野古墳は、駒岡堂の前古墳の西側の丘陵上に位置したとされ、『横浜市文化財地図』(2004年発行)には、鶴見区駒岡4丁目32番地の「鶴見区No.10」という埋蔵文化財包蔵地の付近にあったとされている[2][5]。しかし既に破壊され、詳しい様相は解っていない。僅かながら出土遺物(勾玉4点・管玉2点・丸玉1点など)が伝わっており、現在は駒岡堂の前古墳の出土遺物とともに、師岡熊野神社の熊野郷土資料館が所蔵している[2][1]。