岡本城 (下野国)
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(栃木県) | |
|---|---|
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堀跡 | |
| 別名 | 岡本根小屋城[1] |
| 城郭構造 | 平山城[2] |
| 築城主 | 岡本富高[3] |
| 築城年 | 14世紀前期(1337年2月以降)[4] |
| 主な城主 | 岡本氏、玉生氏 |
| 廃城年 | 1597年(慶長2年) |
| 遺構 | 本丸、堀、土塁[3] |
| 指定文化財 | 市指定史跡 |
| 位置 | 北緯36度36分53秒 東経139度57分3秒 / 北緯36.61472度 東経139.95083度座標: 北緯36度36分53秒 東経139度57分3秒 / 北緯36.61472度 東経139.95083度 |
| 地図 | |

岡本城(おかもとじょう)は、栃木県宇都宮市大字中岡本小字根古屋にあった日本の城。14世紀前期(1337年2月以降)[4]築城、慶長2年(1597年)10月13日廃城。別称として岡本根小屋城[1]。
| 城主 | 生没年 | 城主の期間 |
|---|---|---|
| 岡本富高 | 生年不詳 - 観応2年(1351年)12月27日 没 | 14世紀前期(1337年2月以降?) |
| 岡本正高 | 生年不詳 - 貞治2年(1363年)8月26日 没 | 観応2年(1351年)12月28日 |
| 岡本富武 | 生没年不詳 | 14世紀後期 |
| 玉生重季 | 永正7年(1510年)生 - 天文22年(1553年)10月7日 没 | 天文19年(1550年) |
| 玉生尊宗 | 大永6年(1526年)正月23日 生 - 天正17年(1589年)11月4日 没 | 天文22年(1553年)10月8日 |
| 玉生勝昌 | 天文18年(1549年) 生 - 文禄2年(1593年)11月8日 没 | 天正17年(1589年) |
| 玉生範昌 | 天正2年(1574年)3月8日 生 - 寛永12年(1635年)4月9日 没 | 文禄4年(1595年)3月15日 |
沿革
清党岡本氏時代
岡本城は、14世紀前期、芳賀氏[5]流岡本氏の当主岡本信濃守富高[6]により、その居城として築かれた。しかし、築城した富高が観応2年/正平5年(1351年)の薩埵山の戦いで討死すると、その跡を継いだ富高の子正高も貞治2年/正平18年(1363年)に武蔵野における戦いで討死し、富高の血統は断絶してしまう。
藤姓岡本氏時代
玉生氏の系図によれば、玉生信濃守富高[7]が、貞治2年/正平18年(1363年)6月17日、武蔵国苦林野の戦いで討死すると、その戦功により、玉生氏は岡本郷を賜ったとある。その後、玉生富高の弟である勝親が、岡本信濃守富武を名乗り、岡本城に入城する。玉生氏は、塩谷氏を出自とする藤原姓の一族であり、富武は、藤姓岡本氏ということになるが、藤姓岡本氏の歴史は不明である。しかしながら、玉生氏の系図によれば、玉生勝定(1459年生~1520年没)の娘が、勝親の子孫であろう岡本重親に嫁いでおり、この事から岡本城は、代々藤姓岡本氏の居城となっていたと考えられている[8]。
玉生氏時代
玉生氏が芳賀高経の弟の重季を養子に迎えると、重季は、玉生氏の居城を岡本城に移す。その後、文禄元年(1592年)から同4年(1595年)まで笠間城を居城とした時代もあったが、代々玉生氏の居城となった。しかし、主君である宇都宮家が改易されると、岡本城も廃城となった。
