岡村春彦
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大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦[3]。
北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊[3]。加清純子とは恋仲であった[3]。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊[4]。母の住む浜松へと転校した[4]。
1960年、劇団民藝水品研究所3期生の同期である米倉斉加年や常田富士男らとともに劇団青年芸術劇場(現・シアター青芸)を旗揚げ。安保闘争に参加するなど新劇の中でも異端の劇団で、福田善之の脚本と観世栄夫の演出で多くの話題作を発表したが、米倉の脱退などもあり、1966年に解散。その後は六芸社へ所属[1]。