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岡沢精

日本の陸軍軍人、華族 From Wikipedia, the free encyclopedia

岡沢 精(おかざわ くわし、1844年8月20日〈弘化元年7月7日〉- 1908年〈明治41年〉12月12日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、華族。正二位勲一等功二級子爵。

死没 (1908-12-12) 1908年12月12日(64歳没)
大日本帝国の旗 日本・東京府東京市本郷区本富士町(現:東京都文京区本郷)
(帝大附属医院)
軍歴 1870年 - 1908年
概要 岡沢(おかざわ) 精(くわし), 生誕 ...
岡沢(おかざわ) 精(くわし)
生誕 1844年8月20日
(弘化元年7月7日)
江戸幕府・長門国阿武郡萩城下松本村(現:山口県萩市)
死没 (1908-12-12) 1908年12月12日(64歳没)
大日本帝国の旗 日本・東京府東京市本郷区本富士町(現:東京都文京区本郷)
(帝大附属医院)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1870年 - 1908年
最終階級 陸軍大将
指揮 侍従武官長
歩兵第8旅団長
戦闘
勲章 勲一等旭日桐花大綬章
功二級金鵄勲章
墓所 青山霊園
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経歴

長州藩士岡沢甚内の子として萩に生まれる。1862年(文久2年)以降は江戸の長州藩邸に滞在しながら京都を往来し、文久の政変に巻き込まれたこともあった[1]。大村益次郎の塾に学んだ後は尊皇攘夷運動に携わる。南国隊を組織し戊辰戦争に従軍した。

維新後は陸軍に進み、1870年(明治3年)10月に大坂第2教導隊に入営。1871年(明治4年)2月に四等軍曹、4月に御親兵大隊長、6月3日には陸軍准中尉となり、さらに同年中には中尉・大尉・少佐と昇任した。御親兵5番大隊長を経、1873年(明治6年)2月に近衛歩兵第1連隊大隊長、西南戦争では別働第1旅団参謀長として出征。1878年(明治11年)12月に東京鎮台参謀長兼衛戍司令官、1880年(明治13年)4月、陸軍大佐に昇進。その後、西部監軍部参謀、近衛参謀長、兼参謀本部管西局長を歴任。1885年(明治18年)5月、陸軍少将に進み歩兵第8旅団長となり、陸軍次官兼軍務局長に就任。

一時休職するも、1892年(明治25年)11月に将校学校監、翌1893年(明治26年)11月に監軍部参謀長。日清戦争では大本営軍事内局長兼侍従武官。1895年(明治28年)1月に陸軍中将に進級し、同年8月、男爵を授けられた後、1896年(明治29年)4月、侍従武官長に就任。1904年(明治37年)6月に陸軍大将・議定官となり、1907年(明治40年)9月には子爵に陞爵。1908年(明治41年)12月、病没。薨去に際して旭日桐花大綬章を受章している。

墓所は東京都港区南青山・青山霊園[2]。

明治天皇の岡沢に対する信頼は厚かったとされる。

栄典

位階
爵位
勲章等
さらに見る 受章年, 略綬 ...
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外国勲章佩用允許
さらに見る 受章年, 国籍 ...
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1899年(明治32年)7月4日 清 大清帝国 第二等第一双竜宝星(中国語版)[18]
1905年(明治38年)6月16日 大韓帝国 大勲位李花大綬章[19]
1905年(明治38年)12月5日 プロイセンの旗 プロイセン王国 赤鷲第一等勲章(英語版)[20]
1906年(明治39年)3月10日 イギリスの旗 イギリス帝国 ヴイクトリアン勲章グランドクロス[21]
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家族

脚註

参考文献

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