岡見治資 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 天文元年(1532年)死没 永禄12年(1569年)官位 弾正忠 凡例岡見 治資時代 戦国時代生誕 天文元年(1532年)死没 永禄12年(1569年)官位 弾正忠主君 小田氏治氏族 岡見氏父母 父:小田治孝子 治広、照親、富重、治重テンプレートを表示 岡見 治資(おかみ はるすけ)は、戦国時代の武将。谷田部城主。 岡見氏は常陸小田氏の一族で、この治資の系統の他にも数家存在する。 天文元年(1532年)、小田治孝の子として誕生。常陸国の国境付近に勢力を持ったため、佐竹氏とたびたび争ったという。永禄12年(1569年)、手這坂の戦いで小田氏治軍の一軍として戦い、真壁久幹配下の根来法師大蔵坊の鉄砲に胸板を撃ち抜かれ[1]戦死した。 しかし、父とされる小田治孝は治資が生まれる36年前に死亡しており、一代欠落しているか、治資自身の生年が実は誤りか、実は血縁関係(いわゆる死後養子)はないと考えられる。 脚注 ↑ 『奥羽永慶軍記』無明舎出版 210頁 「爰に根来法師大蔵坊、鉄砲の上手なりしが、真先に進たる岡見弾正が胸板を打ぬけば」 Related Articles