岩本弘司
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父が新東宝の殺陣師であった関係から、自らも東宝に脇役専門のBホーム枠で入社。俳優業とともに時代劇のほかアクション映画の殺陣師としても活躍、最終的には本数契約制のAホームに移る。
さっぱりした人柄で年齢を問わず多くの人から人気があり、「弘チン」の愛称で親しまれていた。東宝で助監督を務めた梶田興治によれば、岩本はバーの店員役が多かったことから「バーテンダー専門俳優」とあだ名されていたという[6]。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「男性的で精悍な役柄に持ち味を発揮」と評している[2]。
野球が得意で、元プロ野球選手の手塚勝巳が設立した東宝野球部に大仲清治らとともに所属。
1970年に東宝の俳優専属制度が崩壊し、俳優業を引退。後に、東宝の斡旋で、越後憲と共に東宝本社付近の喫茶店に就職した。
俳優仲間であった加藤茂雄によると、転職後も役者に対する夢を諦めきれず、撮影後に喫茶店を訪れた加藤にいつも「役者で食えるか?」と尋ねていたという。
岩本について後輩のひし美ゆり子は、自身のTwitterで「心臓病のため、40〜50代で急逝した」とツイートしている[7][8][信頼性要検証]。