岸良兼養
幕末の薩摩藩士、明治時代の司法官
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経歴
薩摩藩士・岸良兼善の長男として生まれる[3]。島津久光の小姓として、久光、島津忠義父子と精忠組との連絡役を務めた[2]。
明治政府に出仕し、慶応4年閏4月23日(1868年6月13日)議政官史官試補に就任[4]。以後、監察司知事、弾正大巡察、刑部少丞などを歴任[4]。明治4年7月9日(1871年8月24日)刑部省が弾正台と合併して司法省となり、同年8月8日(9月22日)司法少判事に任官[4]。明治5年(1872年)司法制度調査のため渡欧し、1873年(明治6年)9月7日に帰国した[2][4]。同年12月28日、司法大検事に就任[4]。
佐賀の乱、西南戦争後の裁判において検察の指揮を行う[1][2]。1877年(明治10年)6月28日、初代検事長(現在の検事総長に相当)に就任。1879年(明治12年)10月25日、大審院長に転じた[2][4]。
1881年(明治14年)7月27日、司法少輔に就任。1883年(明治16年)6月5日、元老院議官を兼任。同年7月4日、司法少輔を辞任し元老院議官の専任となる[5]。病のため在任中に死去した[3]。墓所は青山霊園[6]。
