島津久賀
薩摩の武将 (1582-1644)
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生涯
文禄2年(1593年)、文禄の役の際に父の朝久が朝鮮で病死すると、2年後の文禄4年(1595年)に14歳で朝鮮へ渡海した。慶長の役にも参加し泗川の戦い、更に露梁海戦でも活躍、慶長5年(1600年)に永野(現・鹿児島県薩摩郡さつま町永野)など1,000余石の加増を受けた。慶長12年(1607年)、島津義弘が帖佐から加治木へ居城を移すと、帖佐(現・鹿児島県姶良市)の地頭に就任する。
薩摩藩初代藩主・島津家久の城代家老となり、寛永11年(1634年)、転封により黒木(現・薩摩川内市祁答院町黒木)の領主となっている。寛永14年(1637年)の島原の乱の際は、島津久元と共に大将を仰せ付かった。藩主・家久が亡くなると2代藩主光久にも仕え、それまでの豊後守から豊前守へと官を改めている。正保元年(1644年)没。享年63。
久賀以後、豊州家は帖佐・黒木の領主として代々家老などの要職を歴任している。