嶋倉雷象
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生い立ち
人物
- 祖母が詩吟の師範だった為、5歳から南宋奉眞流にて剣舞・居合道を始めたが、当初は嫌で泣きながら稽古していたらしい。小中学生時代には年間通して東京・東日本・全国とコンクールを勝ち上がり、優勝含め毎年多数の賞を受賞する。10歳の時、剣舞のコンクールを観に来ていた東京12チャンネル(現テレビ東京)のプロディーサーからオファーをもらい、芸達者な子供達で芸を競う番組に剣舞代表で出演するも敗退、これがテレビ初出演となる。キングレコードの専属舞道家であった事もあり、高校生にして「先生」と呼ばれていた。1990年に南宋奉眞流の刀法・剣舞の師範となった。※近年、ミュージカル等で間違って称されることがあるが「剣舞」[2]をご参照下さい。
- 中学校時代、急に足が速くなり、50m走で6.4秒の記録を持つ。「一瞬だけプロ野球選手を目指しかけた」との事。
- 世田谷学園高校では、「左とん平」「水木一郎」「萩原流行」「芦川誠」、「三谷幸喜」や「内野聖陽」などを輩出した名門演劇部に入ったが、まさかの部員不足で休部となりバレーボール部に入り直し青春をスポーツにぶつけた。しかし当時の世田谷学園は「吉田秀彦」を要する柔道部を筆頭に全国区の強豪スポーツ学校でもあった為、試合では相手校からのプレッシャーも半端じゃなかったらしい。そのせいか、ファンの女子高生が出待ちをするほど毎日校門が賑やかだったらしい。学園体育祭の陸上リレーで、その強豪柔道部要するスポーツクラスをアンカーとして足の速さでごぼう抜きで勝ったのが運動では自慢。
- 幼稚園から「お受験さん」だった。小学校の入学試験で横浜国立大学附属小学校に合格するも、くじ引きで落選。これがトラウマになり受験勉強が大嫌いになる。中学受験時は酷いものだったらしい。しかしそれ以降、学内の成績で上位に入る事で推薦入学を狙い、高校は推薦で世田谷学園へ進んだ。大学も推薦を狙う為、部活動や皆勤賞を含め、学内の成績は3年間上位をキープするも、3年時の担任が高望みをした為、大学への推薦入学が無効になる。とことん受験には縁がなかった。
- 舞台芸術学院時代は、2学年目の演技講師「金杉忠男」に影響を受け、卒業後も演劇を続ける事を決める。学院内の歴代宴会部長で率先して幹事をやっており、卒業後も同期生の中ではいまだにそのポジションは変わっていない。とにかく交流がマメで、その為か現在も演劇各方面へ交流範囲がとても広いようだ。
- 花組芝居では殺陣師として劇中の殺陣シーンを演出する事もある。
- 大の野球好きで、物心がついた頃より読売ジャイアンツの大ファンである。毎年東京ドームへはユニフォームを着て数十回観戦に行っているらしい。草野球も大好きで、花組芝居やマウスプロモーションの野球部にも入って活動している。親交の深い元プロ野球選手「佐藤和史」「後藤利幸」「武清剛治」「寺村友和」の影響でパリーグは千葉ロッテマリーンズのファンである。
- 大のカラオケ好き。世田谷学園時代、同級生の中に「SIAM SHADE」の「栄喜」がいたようだが面識はない。しかしカラオケではSIAM SHADEの「1/3の純情な感情」は十八番である。「米米クラブ」や「安全地帯」などを日々熱唱している。
- プライベートでは愛猫家であり、アメリカンショートヘアのシルバータビーの男の子を2匹飼っている。野良猫を見かけると必ず挨拶をする。